【連載】遺伝子解析 新技術とその応用 「第3回 1 細胞シーケンス技術」
本記事は、和光純薬時報 Vol.89 No.1(2021年1月号)において、東京大学 大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 鈴木 絢子様、鹿島 幸恵様、鈴木 穣様に執筆いただいたものです。
はじめに
1 細胞シーケンス技術は、平均値を扱う従来の集団(バルク)での解析では取り扱うことのできなかった組織内の多様性、不均一性を正面から解析することを可能にした。特に 1 細胞での遺伝子発現を計測するシングルセル RNA-seq(scRNA-seq)技術については、比較的平易に扱うことのできるプラットフォームが複数上市されており、幅広い生命科学分野の研究者が自身の研究テーマに応用している。RNA-seq といえば、scRNA-seq を指す時代へと進みつつある。本項では、scRNA-seq 技術とその解析手法、および、1 細胞多層オミクス解析への拡張について概説したい。
1 細胞 RNA-seq 解析
近年、1 細胞解析プラットフォームの上市と次世代シーケンスの低コスト化に伴い、急速に 1 細胞解析が普及してきた。まず scRNA-seq 技術とその解析手法について紹介する。Fluidigm社の C1 Single Cell Auto Prep システム(図1A、左図)は、1 細胞をトラップし、微小流路(マイクロフリューディクス)内で細胞の溶解、逆転写および PCR 反応を行う 1 細胞解析機器である。1 細胞の少量 RNA を効率よく逆転写、増幅する全トランスクリプトーム増幅の手法はいくつも報告されており(Smart-seq1, 2)、CELseq3)等)、C1 システムはさまざまなプロトコルに対応している。特に、高感度に全長 cDNA を増幅できる Smartseq を使用できるため、各細胞に対してより豊富な情報量をもつデータを取得したい場合に適している。
また、各細胞の cDNA ライブラリはそれぞれ別々のウェルに溶出されるため、特定の細胞のライブラリをピックアップして追加シーケンス解析を行うことができる。一方、10x Genomics 社の Chromium システム(図1A、右図)は、オイル中に作らせた液滴中に細胞とバーコードビーズ、反応試薬を閉じ込めて、その中で反応を行う。当該システムの特徴は比較的簡便に、より多くの細胞(~ 10,000 細胞)の 1 細胞データを取得できる点である。目的に応じて 3'もしくは 5'末端のシーケンスを行うキットを選択することができる。
Cell Ranger や Loupe Browser といった専用解析ツールが提供されており、シーケンス解析の初学者でも 1 細胞解析を始めやすい。最近では、さまざまな 1 細胞解析手法を比較した論文が報告されており 4, 5)、それぞれの手法の長所・欠点がまとめられている。1 細胞解析プロジェクトを始めるにあたって、参考にできる情報が蓄積されつつある。
scRNA-seq からは、従来のバルクRNA-seq より得られるデータとは異なり、解析細胞数に応じたデータ数が出力される。解析細胞数が多いと、各データあたりに割り当てられるシーケンスリード数は少なくなる。また、scRNA-seq では少量の mRNA を逆転写・増幅しなければいけないため、分子のドロップアウトが生じ、リードカウントがゼロになる遺伝子が多くみられる。こうした scRNA-seq データの特徴に合わせた手法によってデータ解 析を行う必要がある。
得られた scRNA-seq データは、マッピング等の一次解析の後に、R パッケージのSeurat 6)や python ベースの Scanpy 7)を中心に解析を実施することが多い。これらのツールは開発者によって丁寧なチュートリアルが用意されており、初学者でも一通りの解析(データフィルタリング、次元圧縮、クラスタリング、クラスター間の発現差異遺伝子の抽出、可視化等)が実施できるように整備されている。
他にも、scRNA-seq データよりさまざまな情報を抽出するための解析手法が開発されている。Trajectory解析は、遺伝子発現パターンの類似性から細胞を擬似時間軸で並べるものであり、Monocle 8)等の解析ツールを用いて実施する。また、RNA velocity 9)という、スプライスされていない未成熟な mRNA とスプライスされた成熟 mRNA の比(RNA 速度)に着目することにより、個々の細胞の運命を予測する解析も実施されている。これらの解析を行うことで、本来はある瞬間の計測データであるはずのものから疑似的に細胞の分化や状態変化を追跡することができる。
また、CellPhoneDB10)等により、リガンド - 受容体遺伝子の発現パターンから細胞間相互作用を解析することもよく行われている。scRNA-seq 特有の解析手法は非常に数多く開発されており、アップデートが頻繁であるため、常に新しい情報を得ることが重要である。
scRNA-seq 技術は、さまざまな疾患研究に活用されている。多種多様な細胞から構成される血液や組織などにおいて、細胞群の平均値ではなく個々の細胞の遺伝子発現パターンを計測することができ、従来見落とされてきた細胞およびそのエコシステムにおける新しい特徴を見出すことができると期待されている。
疾患組織における scRNA-seq データを解析するにあたって、リファレンスとなるデータの収集も進められている。例えば、Mouse Cell Atlas(MCA)11)や Tabula Muris12)では、マウスの全身にわたってさまざまな臓器・組織の細胞に対して 1 細胞トランスクリプトーム解析が行われている。また、ヒトでは、Human Cell Atlas(HCA; https://www.humancellatlas.org/)が、すべての細胞種のオミクス状態についてカタログ化を目指している。HCA Data Portal には各臓器の解析プロジェクトで取得されたデータがまとめられている。
1 細胞多層オミクス解析へ
1 細胞解析技術は、トランスクリプトーム単層だけでなく、多階層計測へと開発が進められている(図1B)13, 14)。例えば、オープンクロマチン状態を計測する ATAC-seq は、少ない細胞数から実施可能な手法であり、1 細胞のエピゲノム状態を計測するうえでよく活用されている。さらに、同一細胞でATAC-seq と RNA-seq を解析可能な実験手法も報告されている。
1 細胞における微量なゲノム DNA と RNA を両方解析する必要があるためこれまでは敷居が高かったが、最近、Single Cell Multiome ATAC + Gene Expression として 10x Genomics 社よりキットの発売が開始され、今後は広く実施される可能性が出てきた。核を用いるため、RNA は核由来のものを解析することとなるが、単一細胞内の遺伝子発現と転写制御プログラムの関係性がより詳細に明らかとなると期待される。
一方、同一細胞から複数の階層のオミクス状態を計測するのは単層の解析よりも難しいことは容易に想像できる。データの質などの観点から、まずは個々の階層においてそのオミクス状態を詳細に解析することは重要であるとも考えられる。
また最近、空間トランスクリプトーム解析技術が急速な普及を見せている。これまで scRNA-seq では、細胞を分離して解析を実施するため、空間情報が失われていた。そこで、組織上の位置情報を保持したままトランスクリプトーム解析を行うための技術が開 発 されている。Visium は、10x Genomics 社が販売する空間トランスクリプトーム解析 15)のキットである(図1B)。
位置バーコードを含むオリゴが付加したスライド上で cDNA ライブラリを作製し、シーケンス解析後にバーコードによって各 RNA-seqデータが由来する場所を特定することができる。スライド上には互いに異なるバーコードを有する直径 55 μm のスポットが 5,000 個用意されている。
各スポットには数~数十個の細胞が含まれてしまうため、1 細胞レベルの解像度はないが、遺伝子発現データを組織画像と統合して解析することができる画期的な技術である。当該手法以外にも、1 細胞レベルでの解像度で空間トランスクリプトーム解析を実施可能な技術も報告されており、これからの技術開発の動向から目が離せない。
おわりに
筆者らの研究グループは、1 細胞シーケンス技術を含む新規技術および多層オミクス解析より得られたさまざまな情報を収載したデータベースDBKERO(https://kero.hgc.jp/)を公開している(図2)。DBKERO では、疾患関連のゲノム・オミクスデータを解釈するために、細胞株やマウスなどのモデル系より取得したデータを多数公開しており、1 細胞データも収載している。モデルデータを用いた解析手法のチュートリアルも実装しており、これから 1 細胞解析を始める研究者にはぜひ訪問してもらいたい。
1 細胞解析は今後ますます多くの研究者によって実施され、形態形成、疾患など数多くの分野においてデータが蓄積していくと考えられる。ゲノム科学・シーケンス技術の専門家だけでなく、各応用分野の研究者が一つのツールとして 1 細胞解析を活用し始めている。生物の全身および各臓器・組織のアトラスが次々と発表され、それに伴い、経時変化や疾患状態におけるオミクスステータスが 1 細胞レベルで明らかとなる。今後ますます革新の進む 1 細胞解析技術を何とか使いこなし、生命現象に対する新しい知見の獲得へと結びつける努力が我々に求められている。
参考文献
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