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【連載】The Gateway to qNMR ~定量NMRへの扉~ 「第 1 話 qNMR 高精度化のはじまり」

本記事は、和光純薬時報 Vol.85 No.3(2017年7月号)において、和光純薬工業株式会社 試薬化成品研究所 三浦 亨が執筆したものです。

プロローグ

qNMR(quantitative Nuclear Magnetic Resonance)とは、日本語では定量 NMR と言われ、効率的に測定対象物質の物質量を測定できる手法であることから、昨今注目を集めています。このシリーズでは、ユーザーの皆様に qNMR に関する情報をご提供するとともに、我々の経験や公定法を含めた動向などについてもご紹介したいと思います。

qNMR 高精度化のはじまり

核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance:NMR)スペクトルは、シグナルの化学シフト値、カップリングや分子内積分比などの情報から分子構造を推定することができるため、有機化学や天然物化学などの分野において、主に分子構造解析を目的とした定性分析に用いられてきました。1H NMR スペクトル上に観察される個々の水素原子核(プロトン)シグナルの面積比は、Fig. 1 に安息香酸の例を示したように分子上のプロトンの数比に比例します。

Fig. 1.安息香酸の 1H NMR スペクトル
Fig. 1.安息香酸の 1H NMR スペクトル

この現象は、分子内だけでなく分子間においても共通であることから、Fig. 2 に例示したように測定対象物質とは異なる濃度または純度既知の内標準物質(qNMR 用基準物質)を添加した試料溶液を調製し、1H NMR スペクトルを測定することによって、qNMR 用基準物質の濃度または純度を基準として、測定対象物質の濃度または純度をシグナル面積比の関係から迅速に測定することが可能です。qNMR は、個々の測定対象物質の分子が持つ吸光や蛍光などの物理特性を指標とせず、分子上のプロトンの量から物質量を求める方法であるため、試薬、残留農薬、天然物や食品添加物標準品などの精確な純度決定、標準品の存在しない物質の絶対定量などに応用が可能な手法です。

Fig. 2.qNMR 測定の例
Fig. 2.qNMR 測定の例

この原理を利用した「NMR による定量」(ここでは敢えて qNMR とは言いません。なぜなら精度が低かったからです)は、エヌ・エム・アーラーと言われるいわゆる NMR 屋や合成者の方々の間では有機合成の収率確認などに古くから利用されてきましたが、正確な定量を行うための手法が確立されていなかったことや、測定に使用する qNMR に適した国際単位系(SI)トレーサブル(この場合の SI は物質量なので、要するに物質量が正確に値付けされた)基準物質などのインフラストラクチャーが未整備であったことから、その精度はお世辞にも良好とは言えず、高い精度が要求される実際の分析の現場において、いわゆる分析屋の方々に利用されることはほとんどありませんでした。

Fig. 3.qNMR のインフラ整備:5 機関共同研究
Fig. 3.qNMR のインフラ整備:5 機関共同研究

実は、物質量測定法としての qNMR の高い効率性に最初に着目し高精度化を検討したのは、日本の計量計測分野における国家計量機関、つまりは産業技術総合研究所計量標準総合センター(National Metrology Institute of Japan :NMIJ)でした。彼らは、日本の国家標準物質(National Standard)である NMIJ CRM の純度測定に qNMR を適用するために、測定条件などの高精度化にチャレンジしました。

また、それとほぼ時を同じくして、医薬品や食品関連の公定法(日本薬局方、食品添加物公定書)を策定する国立医薬品食品衛生研究所も qNMR の高い効率性に着目し公定法への適用を模索していました。その後、経済産業省と厚生労働省の二つの研究機関がタッグを組み、qNMR 高精度化のための共同研究に着手しました。

この共同研究は、NMR 装置メーカーである日本電子株式会社、そして試薬メーカーである当社、和光純薬が加わり、4 機関オールジャパン体制でスタートしました。ちなみに、この共同研究は、参加者の間では「qNMR 会議」と言われていました。

2009 年には、この共同研究の枠組みに qNMR の界面活性剤への適用を検討していた花王株式会社が加わり、経済産業省の委託による基準認証研究開発事業「1 対多型校正技術の研究開発」が実施され、Fig. 3 に示したような qNMR 高精度化のためのインフラ整備が実施されました。

近年では、qNMR で精確な定量が可能であることを示す測定例が複数報告されています 1-4)。実際に、生薬、食品添加物、残留農薬、アミノ酸、マイコトキシン及びマリントキシンなどは、これまで絶対純度を保証した標準物質や標準品の供給が困難でしたが、1H qNMR を利用することによって、この問題が解決され、複数の国家計量機関や当社をはじめとした試薬メーカーから供給が開始されています。

さらに、1H qNMR 用に開発された SI トレーサブルな認証標準物質(CRM : certified reference material)を qNMR 用基準物質として正確に添加した試料溶液を調製し、この試料溶液を 1H qNMR 条件で測定することで、SI トレーサブルで精確な定量値を得ることができる手法として、AQARI(Accurate QuAntitative nmR with Internal reference substance)法が報告されています 5-7)

日本薬局方や食品添加物公定書などの公定法では、純度や含有率を精確に測定するための定量法として、この AQARI 法を応用した 1H qNMR の採用が既に開始されています 8)。日本薬局方では生薬などの分野に限られていますが、既に 8 種の定量指標成分標品の純度決定に、また食品添加物公定書では、3 種の定量対象標品の純度決定に 1H qNMR が採用されています。

このように 1H qNMR は、従来のクロマトグラフィーとは原理が異なる革新的な定量法であり、SI トレーサブルで精確な定量値を効率的に得ることができる方法であることから、医薬品や食品だけでなく、工業化学などの精確な定量値が求められるさまざまな分野への応用が期待されています。

次回は、実際の測定法を中心にお話ししたいと思います。

参考文献

  1. Pauli, G. F. et al. : J. Med. Chem., 57 , 9220 (2014).
  2. Yamazaki, T. et al. : BUNSEKI KAGAKU, 63 , 323 (2014).
  3. Schoenberger, T. : Anal. Bioanal. Chem., 403 , 247 (2012).
  4. Watanabe, R. et al. : Toxins, 8 , Pii : F 294 (2016).
  5. Tahara, M. et al. : Environmental science, 27 , 142 (2014).
  6. Ohtsuki, T. et al. : Talanta, 131, 712 (2014).
  7. Kato, T. et al. : Anal. Sci., 32 , 729 (2016).
  8. Hosoe, J. et al . : Pharmaceutical and Medical Device Regulatory Science, 45, 243 (2014).

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