【連載】Wako Organic Chemical News No.09「フッ素化剤」
今月の反応・試薬 「フッ素化剤」 サイエンスライター : 佐藤 健太郎氏
近年、フッ素の導入反応は、合成反応研究における大きなトレンドとなっている。それというのも、含フッ素化合物の可能性に大きな注目が集まっているからであろう。フッ素は原子半径が水素に次いで小さく、かつ全元素中最大の電気陰性度を示す。このため、水素の代わりに化合物に導入すれば、分子のサイズはほとんど変わりないまま、電子的性質を大きく変えることができる。
また炭素-フッ素結合は極めて安定であり、分解を受けにくい。このため、たとえば医薬分子に導入すれば、体内での代謝を防げることがある。一例として 糖尿病治療薬として脚光を浴びるシタグリプチンは、6つのフッ素原子を分子内に含んでいる。
フッ素単体の単離成功(1886年)から、最初の有機フッ素化合物である四フッ化炭素CF4の合成までに40年を要したことが示す通り、C-F結合の生成は非常に難しい。フッ素の反応性が高過ぎ、制御して反応を行うことが簡単でないためだ。しかし近年、さまざまな手法が進歩し、扱いやすいフッ素化剤がいくつも登場している1)。なお、トリフルオロメチル基など、フッ素を含んだ原子団をまとめて導入する手法も長足の進歩を遂げているが、こちらは別の機会に譲りたい。
求核的フッ素化剤
最も簡便なC-F結合生成反応は、ハロゲン交換によるものだろう。臭化ベンジルなどの活性なハロゲン化アルキルは、フッ化セシウム(CsF)やフッ化テトラブチルアンモニウム(n-Bu4NF)と、適当な溶媒中で撹拌するだけで、フッ化アルキルへと変換される。
酸素官能基を含む化合物は入手容易であるので、C-O結合をC-F結合に変換する方法は有用である。この目的には、ジメチルアミノ三フッ化硫黄(Et2NSF3、略称DAST)が広く用いられ る。ただしDASTは長く保管しているとやがて分解し、爆発性の化合物が生じてしまう欠点がある。Deoxo-Fluor((MeOCH2CH2)2NSF3)は、これを改良して熱的に安定化したもので、極めて有用だ3)。Deoxo-Fluorは、側鎖のエーテル酸素が硫黄原子に配位することで安定化していると見られる。
これらの試薬により、一・二級アルコールは対応するフッ化アルキルへ変換される。二級アルコールは、基本的に立体反転を伴って反応が進行する。このため、糖のヒドロキシ基の一部がフッ素に変わったフッ化糖、糖供与体として有用なグリコシルフルオリドの合成にも、DASTあるいはDeoxo-Fluorは利用可能である。
またアルデヒドはジフロオロメチル基へ、ケトンはgem-ジフルオリドへ、 それぞれフッ素化が進む。カルボン酸は、氷温~室温で30分ほどで酸フッ化物へ変換されるが、長時間加熱するなど条件を強くすると、トリフルオロメチル基までフッ素化が進む。エステル、アミド、三級アミンなどの官能基が分子内にあっても、フッ素化は問題なく進行する。
また近年、結晶性の固体であるため取り扱いやすく、爆発性・吸湿性などもない、XtalFluor([R2N+=SF2][BF4-])も登場してきた4)。この試薬は、脱離反応などの副反応が抑制されている利点もある。ただし使用の際には、フッ素源としてフッ化水素酸トリエチルアミン塩などを加える必要がある。
ごく最近、Doyleらは簡便なフッ素化試薬 PyFluor(2-ピリジンスルホニルフルオリド)を報告した5)。DBUなどの存在下、一級または二級アルコールと撹拌するというごく簡便な操作で、ヒドロキシ基がフッ素に変換される。立体反転で反応は進行し、収率は一般に高い。コストも低く済むから、今後使用例が増えそうな反応だ。
またRitterらは、PhenoFluor試薬を報告した6)。これは、通常の脂肪族アルコールをフッ素化できる他、フェノールのイプソ位を直接フッ素に変換できる。試薬は安定で取り扱い易い上、多くの官能基存在下でも問題なく反応が進行するため、天然物の変換などにも用いることができて利用価値が高い。
求電子的フッ素化剤
求電子的なフッ素化は、最も電気陰性度の高い元素であるフッ素を、形式上陽イオンとして導入する形になるので、ちょっと考えると困難な反応にも見える。しかし手法の進歩により、簡便に行える試薬が登場してきた。
N-フルオロピリジニウム塩は中でも代表的なもので、結晶性の安定な固体であり、取り扱いは容易である7)。合成にはフッ素ガスを用いる必要があるが、近年は各種のN-フルオロピリジニウム塩が市販されている。
N-フルオロピリジニウム塩の特長は、ピリジン環上の置換基によって反応性を調節できる点にある8)。電子供与性のメチル基などがピリジン環に結びつくとフッ素化力は低下し、電子求引性の塩素などを結合させると向上する。
これらN-フルオロピリジニウム塩は、Grignard試薬、エノラートアニオン、エノールシリルエーテル、エナミンなど各種求核剤と反応し、フッ素化体を生じる。またアニソールなど電子豊富な芳香環と共に加熱すると、オルト位またはパラ位がフッ素化される。
同様な目的に使われる試薬として、N-フルオロベンゼンスルホンイミド(NFSI,(PhSO2)2NF)や、SelectFluorがある。いずれも固体で、取り扱いは難しくない。
NFSI は、エノラートに作用させることでα位のフッ素化が行える。おおむね収率は良好である。
また、NFSIと不斉触媒と組み合わせて、不斉フッ素化に用いる応用がなされている。たとえばプロリン及びその誘導体とNFSIの組み合わせにより、アルデヒドのα位の不斉フッ素化を行った例が報告されている9)。化学収率・不斉収率とも90%以上と、極めて良好な結果を与えている。
かつては難しかったフッ素化も、様々な進歩を経て、現代では容易に行えるようになった。不斉反応、C-H結合活性化などとも組み合わされて成果を挙げているし、複雑な化合物に対しても選択的なフッ素導入が可能になっている。多くの応用展開がなされている現在、フッ素化試薬の重要性はさらに増していきそうだ。
参考文献
- T. Furuya et al., Nature, 473, 470 (2011); T. Liang et al., Angew. Chem. Int. Ed., 52, 8214 (2013).
- M. Gingras, Tetrahedron Lett. 32, 7381 (1991).
- G. S. Lal, H. Cheng. et al., J. Org. Chem. 64, 7048 (1999).
- F. Beaulieu et al., Org. Lett., 11, 5050 (2009).
- M. K. Nielsen et al., J. Am. Chem. Soc., Article ASAP DOI: 10.1021/jacs.5b06307
- P. Tang et al., J. Am. Chem. Soc., 133, 11482 (2011).
- T. Umemoto et al., Tetrahedron Lett., 27, 4465 (1986).
- T. Umemoto et al., J. Am. Chem. Soc., 112, 8563 (1990).
- D. D. Steiner et al., Angew. Chem. Int. Ed., 44, 3706 (2005).
注目の論文
① Transnitrilation from Dimethylmalononitrile to Aryl Grignard and Lithium Reagents: A Practical Method for Aryl Nitrile Synthesis
Jonathan T. Reeves *, Christian A. Malapit , Frederic G. Buono , Kanwar P. Sidhu , Maurice A. Marsini , C. Avery Sader , Keith R. Fandrick , Carl A. Busacca , and Chris H. Senanayake,
J. Am. Chem. Soc., Article ASAP DOI: 10.1021/jacs.5b06136
芳香族Grignard試薬(ArMgX)あるいはアリールリチウム(ArLi)と、ジメチルマロノニトリル(Me2C(CN)2)をTHF中反応させることで、芳香族ニトリル(ArCN)を得る。驚くほどシンプルな反応形式ながら、立体障害の大きな基質でも、高い収率で目的物が得られている。
② Design of Modified Amine Transfer Reagents Allows the Synthesis of α-Chiral Secondary Amines via CuH-Catalyzed Hydroamination
Dawen Niu and Stephen L. Buchwald *,
J. Am. Chem. Soc., Article ASAP DOI: 10.1021/jacs.5b05446
銅触媒を用いた、オレフィンのヒドロアミノ化反応。O-ベンゾイル-N-モノアルキルヒドロキシルアミンと、不斉配位子を持った銅触媒を作用させることで単純なトランスオレフィンが不斉二級アミンへと変換できる。
③ Catalytic Silylations of Alcohols: Turning Simple Protecting-Group Strategies into Powerful Enantioselective Synthetic Methods
Prof. Dr. Li-Wen Xu*, Yun Chen and Prof. Dr. Yixin Lu*
Angew. Chem. Int. Ed. Early View DOI: 10.1002/anie.201504127
エナンチオ選択的シリル化に関するミニレビュー。多数のヒドロキシ基を持つアキラルなポリオールを、選択的にシリル化することでキラル化合物を得る方法の紹介。以前は糖などから長い段階を踏んで合成していた保護ポリオールが、簡便に得られるようになった。