【連載】<幹細胞由来EV~治療、診断、化粧品への展開~> 第6回 エクソソームの機能解明とその応用にはオミクス科学の統合(マルチオミクス)が必須である
本記事は、和光純薬時報 Vol.93 No.1(2025年1月号)において、東京農工大学農学部 元オクラホマ大学医学部 小原 朋子様、久留米大学医学部 オクラホマ大学医学部 松本 博行様に執筆いただいたものです。
はじめに
食事が生命維持に寄与する仕組みを理解するには、食後の消化吸収過程を生理医学的に解明する必要があります。この探究は、20世紀初頭にサー・フレデリック・ゴウランド・ホプキンスが生化学の重要性を提唱したことに始まります1)。その後21世紀に急速に展開したヒトゲノム解読を契機として、ゲノム、プロテオーム、トランスクリプトーム、グリコーム、リピドーム、メタボローム等の生体活性分子を集合的に理解しようとするオミクス科学(Omics)2)の基礎が築かれました。オミクス科学では、関与する生体分子種の定性と定量、さらにオミクスデータの変化の意味を医学生理学的に解釈する事を課題とします。著者らは、食物摂取からの過程をバイオセミオティックス(生命記号論)の視点から、さらにオミクス科学が医療に果たす役割を論じました3)。この小論では、エクソソーム研究を発展させるためにはオミクス科学との融合が重要である事を説明します。
エクソソーム
エクソソーム(Exosome)は、細胞から分泌される直径約50~150ナノメートルの脂質、タンパク質、DNAやRNAなどの生理活性分子を含む細胞外小胞(Extracellular vesicle)の一種で、血液、尿、唾液、母乳など様々な体液中に存在します。エクソソームを構成する分子は元になる細胞の種類によって決まり、これが運ぶ生理活性物質は体内の他の細胞にさまざまな生体情報を伝達していることが示唆されています。したがって、1)エクソソームの研究がもたらす知識とその応用は生命記号論の研究対象であり、2)オミクス科学は活性分子の多面的かつ体系的な理解を目指していることから、エクソソームの研究はオミクス科学の一つの頂点に位置すると考えられます。この背景から、著者らは「エクソゾミクス(Exosomics)」という新しい研究分野を提唱しました3)。しかしながら、現時点ではこの分野の基礎研究はまだ十分には進んでいません。さらに、その応用については未知の領域にあり、それに伴う危険性も十分に理解されていません。他方でエクソソームが多様な症状に対する治療効果を持つという期待もあります。これは「エクソソーム効果」をキーワードにオンラインで検索すると確認できます。しかしながら検索結果には、「肌の改善」、「頭髪の改善」、「関節の痛み改善」、「生活習慣病の改善」、「アルツハイマー認知症の改善」などが科学的根拠なしに示されています。残念ながら、これらの事例の多くはエクソソームの研究と応用の安全性が十分に検証されていない状況で行われており、悲劇的な死亡事故も報告されています。
著者らは、エクソソームの医療への応用は、それが運ぶ生理活性物質の信号伝達システムを理解した上で行うべきだと考えます。そのためには、オミクス科学がより統合され、知識の上層にある情報伝達系を明らかにする必要があります。つまり、オミクス科学によって明らかにされた複雑な信号伝達システムの探求およびオミクス情報を新しい知識体系である「エクソゾミクス」に統合することが求められます。生命記号論の観点から見ると、生命体の信号伝達は体内での過程と環境からの要因に反応する過程の二種類から成り立っています。これら二つのセミオティック過程(内因性セミオシスと外因性セミオシス)は、オミクス科学における信号伝達のプロセスの上位に位置するものであり、エクソゾミクスにおいて総合的に理解されます。ここで、食物摂取に関連する生活習慣病の一例として2型糖尿病の病態(内因性セミオシス)と、それに重要な関連があることがわかってきた外因性セミオシスの一例として腸内細菌が生体に与える影響について紹介します。
オミクスからマルチオミクスへの展開
1974年、生化学者マルセル・フロルキンが「バイオセミオティクス」という用語を初めて使用し、生物の化学的構成が進化の変化を駆動する可能性を提唱しました4)。この考えは、生体分子の重要性を認識するきっかけとなり、比較生化学の分野の発展を促す契機となりました。その後、生化学と分子生物学が進展し、特にヒトゲノム解読に続くmRNAやタンパク質の体系的理解を促進するために、ゲノミクス、トランスクリプトミクス、プロテオミクス、グリコミクス、リピドミクスなどの研究分野が発展しました。これらは総称してマルチオミクス(Multiomics)と呼ばれ5)、各分野の分子語彙を通じて、生命に対するより体系的な理解を目指しています。
オミクスデータは、分子の名前とその量を含む2-タプルで定義されます。例えば(タンパク質A、タンパク質Aの量)という形式です。また、このデータが観測された生体試料の医学生理学的状態を示すパラメーターも記録されます。これにより、オミクスデータセットは身体の生理的状態を反映し、健康や病気の調査研究に活用されます6), 7)。しかし、蓄積されたデータはそのままではバイオセミオティクスの信号として解釈できません。例えば、Human Proteome Organization (HUPO)によって集積された膨大なプロテオミクスデータ8)を有用な知識として理解するための技術はまだ十分に発展してないからです。実際、これまでのデータの蓄積は分子生物学者や医学者にとって負担となっており、データ統合の可能性は依然として仮説段階です。最近の急速な人工頭脳(AI)の発展が、この分野において強力な手法になることが期待されます。その実現には、量子コンピューターやAIアルゴリズムを用いたマルチオミクスデータの統合的理解が求められるでしょう。なお、マルチオミクスが将来の研究方法として注目されていることは、例えばGoogle Scholarで「multiomics approach」と検索することでも確認できます。
エクソソームは細胞間コミュニケーションの担い手となっている
多細胞生物において、細胞間コミュニケーションは生物のホメオスタシスと個体の完全性の維持において重要です。食品は生体分子の供給源であり、血管を通じてホルモンなどのシグナル分子が出発細胞から目的細胞へと運ばれます。エクソソームの小胞体構造はすでに1980年代に報告されていますが9)、その生体情報を担う機能が発見されたのは最近のことです。エクソソームはタンパク質、脂質、核酸を含む細胞外小胞で、細胞や臓器の修復・再生を助けるものとされていますが、そのメカニズムはまだ解明されていません10)。また、癌細胞由来のエクソソームは癌細胞のマイクロ環境を破壊し、近接する正常細胞の代謝に影響を与える(metabolic reprogramming)ことで、転移を促進することが知られています11)。このような現象の背後にある仕組みは、エクソソームが果たす未知の情報伝達機構によるものです。これを理解するためには、マルチオミクスが重要な技術となります。こうしたオミクス情報を統合する方向へ向けて、「エクソゾミクス」という新しい概念が提唱されています。この研究が進むことで、さまざまなエクソソームが持つ情報が特定され、それらの生理的および病理的意義や応用が明らかにされることが期待されます。
摂食に伴って作用する外因性エクソソームの作用の例:ミルク由来のエクソソームと腸内細菌が放出するエクソソーム
ミルクに含まれるエクソソームには、消化吸収の過程で体内に取り込まれ、さまざまな信号伝達系に影響を与える生体分子が報告されています12)。これらには抗炎症作用や抗癌作用など、応用価値のあるものも含まれています。また腸内には多くの細菌が宿主と共存し、食品の消化を助けていますが、腸内微生物の役割は単なる消化補助にとどまらないことが明らかになりました。さらに最新の研究では、食品摂取を通じた腸内微生物と健康・病気の相互作用に注目が集まっています。驚くべきことに腸内微生物は食品摂取の影響を受け、気分や心理的状態などの高次の生物学的表現型にまで広範な影響を与えることが解明されています。これらの効果は、腸内細菌が放出するエクソソームによるものと考えられています13)。これらのエクソソームの効果は、外因性セミオシスに該当します。
食品と健康の相互作用:2型糖尿病 (T2D) の例
アメリカ国立糖尿病・消化器病・腎臓病研究所(NIDDK)のウェブサイトでは、T2Dについて以下のように説明されています。T2Dは血糖値が高くなる疾患で、インスリン不足や糖代謝の機能不全により血糖が細胞に届かず、血中に過剰に残ります。その結果、高血糖となりますが、その全体像は次のように要約されます。
- 主な症状は血糖値の上昇です。この高血糖は、メタボロミクスにおいてデータセットとして測定されます。
- 高血糖はグルコース制御がうまく働いていないことによるもので、ゲノミクスやプロテオミクスなどのデータにも対応して検知される例が多く見られます。
- 食材の澱粉質がグルコース源となることから、食事の種類や量、質がT2Dに影響を与えます。
- グルコースは通常、主なエネルギー源となるため、T2Dの代謝異常は疲労やさまざまな精神的異常を引き起こします。
- 恒常的な高血糖はタンパク質を異常に糖化することで細胞に毒性をもたらします。ほとんどすべてのタンパク質が糖化されますが、一般的に糖化されたヘモグロビン(HbA1c)が重症度の指標とされています。
- エクソソームがT2Dの進行に大きな影響を与えていると考えられています14)。(内因性セミオシス)
- さらに腸内細菌が分泌する生理活性物質(おそらく細菌が分泌するエクソソーム)によってT2Dの病因や進行に影響を与えます15)。(外因性セミオシス)
以上のように、食品摂取やグルコース代謝の異常がT2Dを引き起こす経路は、体内のエクソソームによって運ばれる信号に加え、腸内細菌が放出するマイクロバイオームのエクソソームが体内に入り、全体のオミクスシグナルを制御する過程で起こっていると考えられます。エクソソームがこのような複雑な信号伝達の連鎖の最終段階で作用していることは、エクソソームが担う信号伝達系を理解するための研究がいかに重要であるかを雄弁に物語っています。
まとめ
前世紀に遺伝子コードの解読を契機に急速に進展した分子生物学は、その後の技術革新とともにオミクス科学を発展させました。ゲノミクスとプロテオミクスはオミクス科学の基盤となり、その後トランスクリプトミクスや他のオミクス領域が発展しています。公開されたオミクス情報は、分子とその量に関する膨大なデータを提供します。この小論では「エクソゾミクス」という新しい領域を紹介し、エクソソームが多次元の情報を運び、特定の機能を発揮する点を指摘しました。エクソソームを情報伝達の担い手として理解するための研究が早急に進められることは、将来の医療の発展に大きく貢献すると考えます。エクソソームに関する最近の論文は急速に増加している一方で、まだ本質的な確証となるデータを示す論文は限られており、今後の研究が期待されます。
参考文献
- Weber, B. : "The Stanford encyclopedia of philosophy (Summer 2018 Edition)" ed. by Zalta, E. N., (2018).
- Micheel C. M. et al. : "Omics-Based Clinical Discovery : Science, Technology, and Applications", National Academies Press, US, (2012).
- Obara, T. et al. : "Food and Medicine." ed. by Hendlin, Y. H. and Hope, J., Springer International, 183 (2021).
- Florkin, M. : "Concepts of molecular biosemiotics and of molecular evolution (Essential readings in biosemiotics)", Springer, vol. 3, 463 (2009).
- https://en.wikipedia.org/wiki/Multiomics
- Matsumoto, H. et al. : "Encyclopedia of molecular and cell biology and molecular medicine.", ed. by Meyers, R. A., Wiley-VCH Verlag GmbH, Germany, 557 (2005).
- Shitama, T. et al. : Proteomics Clin. Appl., 2, 1265 (2008).
- Human Proteome Organization at https://www.hupo.org/
- Johnstone, R. M. et al. : J. Biol. Chem., 262, 9412 (1987).
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