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【連載】Wako Organic Chemical News No.06「イオン液体」

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今月の反応・試薬  「 イオン液体 」  サイエンスライター : 佐藤 健太郎氏

イオン性化合物といえば、塩化ナトリウムに代表されるように、陽イオンと陰イオンが規則正しく積み重なった結晶性の固体となるのが一般的だ。しかしこの常識に反し、液体として存在するイオン性化合物も存在する。このように、常温付近(一般に100℃以下)で液体となるイオン性化合物を「イオン液体」と呼んでおり、近年注目を集めている1)

イオン液体の発見は1914年にさかのぼるが、長らくその可能性が省みられることがなかった。転機が訪れたのは1992年のことで、J. S. Wilkesらが水や空気に対して安定な、イミダゾリウム系のイオン液体を報告したことが発端となった2)。その後、イオン液体にはグリーンケミストリー分野や電気化学分野などで多くの応用が見出され、関連する論文数もうなぎ登りとなっている。

イオン液体の構成

通常、イオンは互いに強く引きつけ合って、密に詰まった結晶となりやすい。しかし、陽イオン側が大きな有機分子であるなど、イオン間の相互作用が弱い場合には液体となりうる。多くは各種アンモニウムカチオンだが、中でも1,3-ジアルキルイミダゾリウム系は代表的なもので、イオン液体関連研究において、最も多く用いられる。

イオン液体によく用いられるカチオン
イオン液体によく用いられるカチオン

陰イオン側としては、テトラフルオロホウ酸イオン(BF4-)、ヘキサフルオロリン酸イオン(PF6-)、トリフルオロメタンスルホン酸イオン(CF3SO3-)など、求核性が低く、サイズの大きな陰イオンが用いられることが多い。

イオン液体によく用いられるアニオン
イオン液体によく用いられるアニオン

このように、陽イオン側と陰イオン側の両方に多様な可能性があるから、両者の組み合わせとなるイオン液体には、膨大な種類が存在しうることになる。たとえば陽イオン側のアルキル基の鎖長を変えれば、脂溶性などの性質を自在に変えられる。イオン液体が「デザイナー溶媒」と呼ばれるゆえんである。

イオン液体の特徴

イオン液体の特徴をまとめると、次のようになる。
(1)極めて蒸気圧が低く、このため難燃性。
(2)熱安定性が高く、広い温度範囲で液体状態を保つ。
(3)イオン導電性が高い 
(4)(一般的に)粘度が高い 
これらの性質は、イオン液体独特の応用を可能とするが、一方で難点にもつながる。たとえばイオン液体は、蒸留や再結晶などの手段が使えないため、精製が難しい。微量の不純物によって、融点や粘度などの物性が大きく左右されるので、合成や取り扱いには注意が必要である。

イオン液体中での反応

イオン液体を溶媒として用いる反応は盛んに研究されているが、その口火を切ったのはSeddonらによる溝呂木-Heck反応の報告であった3)。ヘキサフルオロリン酸1-ブチル-3-メチルイミダゾリウム ([bmim][PF6]と略される)はパラジウム触媒をよく溶かすが、水とも低極性有機溶媒とも混和しない。このため、[bmim][PF6]を溶媒として用いて反応を行い、終了後にこれを有機溶媒、水で順次抽出・洗浄すれば、生成物と副生成物が簡便に分離できる。イオン液体中には触媒のみが残るため、次の反応にそのまま利用可能である。これはイオン液体のグリーンケミストリー分野への応用を開く、重要な研究となった。

パラジウム触媒はイオン液体と相性がよく、薗頭反応が銅の補助触媒なしに進行するケースが報告されている4)。また、単純なPd/C触媒で溝呂木-Heck反応が進行することもわかっており、これは溶媒から生じるヘテロサイクリックカルベンが配位子となり、均一触媒のように働くためと見られている5)

イオン液体中では、遷移金属触媒やルイス酸なども利用可能だ。たとえば、ハロゲン化1-エチル-3-メチルイミダゾリウム([emin]X)と塩化アルミニウムAlCl3から系内で調製したイオン液体は、Friedel-Crafts反応の触媒として働く6)。反応は極めて速く、下図のような反応が0℃、5分で終了する。

また、求核置換反応の溶媒にイオン液体を用いると、反応が著しく活性化されるケースがある。アルキルメシラートに対して、[bmin][BF4-]を溶媒に用い、100℃の条件下でフッ化カリウムを作用させると、2時間ほどでメシル基からフッ素への置換が進行する7)。通常、フッ化物イオンは求核性が乏しいため、こうした反応は起こらない。

Grignard試薬は、イオン液体のカチオンと反応してしまうため利用できないと思われてきたが、ホスホニウム系のイオン液体中でなら問題なく反応が進行することも示されている8)。また、リパーゼによる不斉アシル化など、イオン液体は酵素反応にも適用可能であり、今後もさらに利用範囲は広がりそうだ。

その他の用途

イオン液体の用途は、反応溶媒に限らない。イオン液体はセルロースをも溶解するため、バイオマスとしての利用を開く鍵として期待されている。またリチウム系二次電池や、燃料電池の電解質としても応用研究が進められている。このあたりの詳細は、成書1を参考にされたい。

イオン液体は高価ではあるが、再利用しやすいなどの利点も多く、今後高分子化学やプロセス化学などにも適用範囲を広げていくであろう。他の要素との組み合わせで思わぬ効果を生むことも多いから、今後も注目していくべき分野ではないだろうか。

参考文献
  1. 「イオン液体の科学 新世代液体への挑戦」(イオン液体研究会,丸善出版),「イオン液体(最先端材料システムOne Point 2)」(高分子学会,共立出版)
  2. J. S. Wilkes and M. J. Zaworotko, J. Chem. Soc., Chem. Commun., 965 (1992) .
  3. A. J. Carmichael et al., Org. Lett., 1, 997 (1999) .
  4. T. Fukuyama et al., Org. Lett., 4, 1691 (2002) .
  5. H. Hagiwara et al., Tetrahedron Lett., 42, 4349 (2001) .
  6. C. J. Adams et al., Chem. Commun., 2097 (1998) .
  7. D. W. Kim et al., J. Am. Chem. Soc., 124, 10728 (2002).
  8. T. Itoh et al., Tetrahedron Lett., 48, 7774 (2007).

注目の論文

① A Phosphetane Catalyzes Deoxygenative Condensation of α-Keto Esters and Carboxylic Acids via PIII/PV=O Redox Cycling

Wei Zhao , Patrick K. Yan , and Alexander T. Radosevich *
J. Am. Chem. Soc., Article ASAP DOI: 10.1021/ja511889y

リンを含む4員環化合物を触媒とした、α-アシロキシカルボン酸の合成。触媒と還元剤(PhSiH3)の存在下、α-ケトカルボン酸ともう一種のカルボン酸を反応させる。4員環の高ひずみ構造のため、リンが5配位型をとりやすくなっているのがポイント。有機触媒の新しい設計指針になりそうな研究。

② A new antibiotic kills pathogens without detectable resistance

Losee L. Ling, Tanja Schneider, Aaron J. Peoples, Amy L. Spoering, Ina Engels, Brian P. Conlon, Anna Mueller, Till F. Schäberle, Dallas E. Hughes, Slava Epstein,  Michael Jones, Linos Lazarides, Victoria A. Steadman, Douglas R. Cohen, Cintia R. Felix, K. Ashley Fetterman, William P. Millett, Anthony G. Nitti, Ashley M. Zullo, Chao Chen & Kim Lewis
Nature (2015) doi:10.1038/nature14098

メチシリンやバンコマイシンのような強力な抗生物質に対しても耐性を持つ、MRSAやVRSAなどの多剤耐性菌は、医療の現場における大きな問題となっている。このほど、これらに対しても強力な殺菌作用を示すteixobactinの単離が報告された。11のアミノ酸から成り、エステル結合を含む13員環構造を持つ。バンコマイシンと同じく、細菌の細胞壁合成を阻害する作用があると見られる。

③ Aryne Polymerization Enabling Straightforward Synthesis of Elusive Poly(ortho-arylene)s

Yoshihide Mizukoshi , Koichiro Mikami *, and Masanobu Uchiyama *
J. Am. Chem. Soc., 2015, 137 (1), pp 74-77 DOI: 10.1021/ja5112207

芳香環から2つ水素原子を除去した形の「アライン」(aryne)類は、100年以上前から知られる化学種であり、反応中間体として多くの研究がなされてきた。このほど、1価の銅イオンを触媒としてアラインが重合し、オルト位で連結したポリフェニレンを生成することが示された。高分子化学、ナノカーボン科学の領域に影響を与えそうな研究。

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