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【総説】脳内の愛情・幸せの素 オキシトシンをとらえる

本記事は、和光純薬時報 Vol.91 No.2(2023年4月号)において、大阪大学医学系研究科 稲生 大輔様に執筆いただいたものです。

1.はじめに

オキシトシンは「愛情ホルモン」や「幸せホルモン」とよばれる脳内で産生される情報伝達分子です。発見当初は、メス個体の出産や授乳時に血中に分泌される末梢ホルモンとしてとらえられていましたが、後に脳内でも直接作用し多様な生体機能を制御することも明らかになってきました。その二つ名が示す通り、育児・絆・社会的行動と強く関わるほか、食欲や代謝の制御、ストレス軽減など、幅広い機能を持つことが知られています。最近では、自閉スペクトラム症や統合失調症といった難治性脳疾患や過食・肥満の治療標的としての可能性も期待されています。このように今やオキシトシンは、世界中の脳研究者から最も注目される分子の一つとなっていると言っても過言ではない状況です。しかしながら、脳内オキシトシンの研究は技術的な制限がまだ多く、謎が数多く残されています。本稿ではその解決の鍵となる「オキシトシンの計測手法」について、歴史と現状について記述したいと思います。

2.オキシトシン計測のはじまり

オキシトシンの分子構造が決定されたのは1950年代であり1)、分子を直接的に計測することが可能となってきたのは、イムノアッセイが開発された1960年代以降となります。しかしながら、オキシトシンの機能が歴史上に記述され始めたのは20世紀の初頭で、分子実体が不明な時代においても、研究者たちはオキシトシンをとらえるべく研究を続けていました。では、そのような「分子紀元前」の時代において、オキシトシンはどのように検出されていたのでしょうか?

オキシトシンの生理作用に関する最初の記述は、化学伝達物質による神経伝達の発見で著名なHenry Dale卿による1906年の論文であるとされています2)。「ON SOME PHYSIOLOGICAL ACTIONS OF ERGOT」と題されたこの論文は、麦角 (モノアミン類似成分であるアルカロイドを含有した菌体物質)の様々な生理作用の解析を主眼としたものでしたが、よく読んでみると26個目の図でウシ下垂体抽出物のネコ子宮に対する収縮作用が、「ついでに」という感じで示されています。今では当たり前となっていますが、これこそがオキシトシンによる子宮平滑筋の収縮作用を示した世紀の大発見なのです。残念ながらではありますが、オキシトシンの歴史上での登場は、このような関係のない論文の中に埋もれる形となってしまいました。この下垂体抽出物による子宮への収縮作用は自然分娩による出産を促すため、ギリシャ語で「迅速な (oxús) 出産 (tókos)」を意味する言葉にちなんで、「oxytocic effect」と記述されるようになりました。また同時期の研究により、下垂体抽出物には、oxytocic effectに加えて、血圧を上昇させる効果 「pressor effect」と抗利尿効果 「antidiuretic effect」の計3種の効果があることが分かってきていました。これらの効能の成分は1920年代に分離され、oxytocic effectの強い「オキシトシン」、pressor effectとantidiuretic effectの強い「バソプレシン」とそれぞれ名づけられました。すなわち下垂体抽出物の中身は2種の下垂体後葉ホルモンの混合物だったわけです。

3.生化学的な定量手法の登場

上記のような生体試料によるバイオアッセイは、動物の組織を用いて生理実験を行うため手間がかかる上、感度が低いという問題がありました。さらに、観察された生理活性が果たしてオキシトシンに直接起因するか否かを判別することは困難でした。この状況を一変させたのが抗原−抗体反応を用いた生体分子の微量定量法、すなわちイムノアッセイです。1960年から1970年の初頭までの間にラジオイムノアッセイやELISA(enzyme-linked immunosorbent assay)といった、その後の生命科学を支える革新的な技術が開発されました3), 4)。イムノアッセイは当初インスリンに対する定量法として開発されましたが、後に抗オキシトシン抗体が開発されたことにより、オキシトシンの直接的な定量も可能となりました5)

元々オキシトシンは血中に分泌される生理活性分子として着目されていましたが、ちょうどこの時代はGeoffrey Harris博士らにより脳神経系によるホルモン分泌制御(神経内分泌)が確立した時期であり、オキシトシンが脳内においても直接作用している可能性も注目され始めました6)。イムノアッセイによる解析により、脳脊髄液中のオキシトシンの存在が確定的となってきました。

4.脳内におけるオキシトシン動態の経時的計測

オキシトシンの生化学的な解析が可能となったことで、脳脊髄液中のオキシトシンを直接定量できるようになりました。しかしながら、脳脊髄液は非常に量が少なく、同一個体からの連続的な採取や、局所領域からの採取は困難でした。そこで、時々刻々と変動するオキシトシン動態を脳内局所から経時的に計測することが次なる課題となりました。生きた脳からのオキシトシン動態をとらえる挑戦は、様々な計測法を駆使して世界中の研究者により続けられてきました。現在もなお、このような技術開発は続けられています。以下において、主な3つの計測手法について説明します。

マイクロダイアリシス法
マイクロダイアリシス法は、1960年代に開発された古典的な脳内細胞外分子の解析手法です7)。透析膜を備え付けた微小プローブを脳内の標的部位に留置することで、周囲環境に存在する分子をプローブ内に経時的に回収することができます。回収した灌流液をイムノアッセイ、質量分析、電気化学的検出などの生化学的分析にかけることで、一定時間内にプローブ周囲に存在した生理活性分子の量を計測することができます。

このようにマイクロダイアリシス法が登場したことで、生きた動物の脳内において生理活性分子の経時的計測が可能となりました。古典的手法ながら、オキシトシンも含めて様々な脳内生理活性分子の解析に現在に至るまで活用され続けています。しかしながら、マイクロダイアリシス法は、空間・時間分解能に問題があります。プローブの透析膜は、サイズが比較的大きく (一般に直径数百μm、長さ数mmの円柱状)、シナプスや細胞といった脳内の局所機能単位における計測は困難です。また、分析に十分量のサンプルを回収するまでには時間が長くかかり (一般に数十分から数時間程度)、刺激や動物の行動に応答して惹起されるような素早い応答を「リアルタイムに」検出することは困難です。

電気化学的手法
電気化学的手法は、1970年代に開発された分析手法で、電極の表面で起こる酸化還元反応と共役して生じる電気を検出します8)。酸化還元反応を惹起するために、外部から電気を負荷しますが、この時に出力される電気の反応パターンから対象となる分子の種類と量を計測することができます。この手法は、カテコールアミンのような酸化還元反応の起こりやすい官能基を持った分子の定量に長らく使われてきましたが、ペプチドやタンパク質についても、いくつかのアミノ酸残基 (主にチロシン、トリプトファン、システイン)が電気化学反応による酸化を受けるため、計測の対象となります。オキシトシンの生体サンプルを用いた検出については、摘出したゼブラフィッシュの脳内において計測を試みた論文が最近発表されています9)。しかしながら、生体内での感度のよい計測はまだ達成されているとは言えない状況です。

電気化学的手法では、マイクロダイアリシス法と比べると時間分解能が高く、データの取得はサブ秒単位の時間スケールでも可能です。しかしながら電気化学的手法においても、比較的サイズの大きい電極が用いられるため、空間分解能に問題があります。また、連続的な使用により電極表面が劣化していくことも、長時間測定を行う上での問題となります。さらに現状での最大の問題は、分子の特異性です。生体内では、数多の分子が酸化還元反応に感受性を持ちますが、その中から標的分子に由来する電気信号のみを選択的に抽出することは非常に困難です。そこで現在、電極表面に標的分子を特異的に認識するセンサー分子を固定化し、分子の結合と電気化学反応を共役させるような仕掛けの開発が本分野では精力的に進められています。

蛍光センサーを用いた計測手法
生きた動物の脳内から細胞シグナルの時空間情報の計測を実現する手法として、近年最も活用されているのが蛍光センサーを用いた計測手法です。標的となる分子を感知すると光の特性が変化する蛍光センサーを細胞に導入し、光学計測系でセンサーの信号をとらえることで計測を達成します。生きた動物の脳内からのin vivo蛍光計測については、1990年代に深部組織からの計測が可能な二光子励起顕微鏡の生物応用がなされたのを機に10)、現在に至るまで様々な光学計測系が開発され発展を遂げてきています。現在では、二光子励起顕微鏡を用いた拘束下の動物からの高空間解像度での計測や、小型顕微鏡 (miniscope)・光ファイバー型の光学測定装置 (fiberphotometry)を用いた自由行動下の動物からの信号測定などが利用可能になっており、研究の目的に応じて手法が使い分けられています。自由行動下の動物において、高解像度・広視野の計測を実現することが次なる目標です。

蛍光測定を行う上でもう一つ重要なのが蛍光センサーです。古典的には化合物ベースの蛍光色素が用いられていましたが、近年では遺伝子にコードされたタンパク質型の蛍光センサーが広く用いられています。遺伝子にコードされた分子を用いることで、脳の領域や細胞種を選択して計測が可能となるほか、スクリーニングによる「分子進化」を行うことで感度や特異性の高いセンサー開発が実現できます。遺伝子コード型の蛍光センサーは、緑色蛍光タンパク質(GFP)やその変異体をベースとした人工タンパク質であり、1990年代後半にRoger Tsien博士と宮脇敦史博士らにより、第一世代の遺伝子コード型蛍光センサーCameleonが報告されました11)。Cameleonは細胞内Ca2+シグナルを可視化するセンサーでしたが、遺伝子コード型蛍光センサーはそのコンセプトをベースに、その後の20年間以上もの間に世界中の研究室の中で進化を遂げ、様々な標的の分子を可視化できるツールが次々と開発されてきています。特に、細胞外の生理活性分子に対する遺伝子コード型蛍光センサーについては、2018年にGタンパク質共役型受容体 (GPCR)をベースとした蛍光センサーがYulong Li博士とLin Tian博士により独立して発表されたことにより大きな転換が起こりました12, 13)。彼らは、GPCRの細胞内第3ループに蛍光タンパク質を挿入したキメラタンパク質の配列を最適化することで、リガンド結合依存的に蛍光強度が変化する蛍光センサーを作製できることを報告しました。初めに作製されたのはドパミンに対する蛍光センサーでしたが、GPCRにより認識されるリガンドは数百種類におよぶため、同様の設計により多種多様な生理活性分子の可視化が実現できる、というのがこのコンセプトの大きな魅力です。オキシトシンもGPCRを標的とするリガンドであるため、同様の設計でセンサー開発が理論上は可能でしたが、この時点では蛍光オキシトシンセンサーによるin vivo計測は達成されていませんでした。

そこで筆者は、蛍光オキシトシンセンサーの開発を行いました14)。細胞膜への局在能が強力なメダカ由来のオキシトシン受容体とGFPにより構成されたキメラタンパク質に順次変異を加えていき、培養細胞を用いたスクリーニングにより配列の最適化を行いました。そして最終的に、オキシトシンに対し最大約8倍もの蛍光強度変化を示す超高感度蛍光オキシトシンセンサー MTRIAOTを開発することに成功しました。そこでMTRIAOTをマウス脳に導入し、様々な実験条件下における脳内オキシトシン動態の計測を実施しました。MTRIAOTによる計測により、薬物投与や光刺激により人為的に誘導した脳内オキシトシン濃度上昇のみならず、様々な外界からの刺激に応答した内因性のオキシトシン濃度制御についても観測することができました。非常に興味深い結果として、刺激の種類により秒単位・分単位・時間単位など時間スケールの大きく異なるオキシトシン濃度変化が脳の中で起こっている、という事実が見えてきました。さらに麻酔の作用により脳内オキシトシン濃度に影響が出ることや、加齢にともなって脳内オキシトシンの日内動態が大きく変動することなど、既存手法では鮮明に見えてこなかった新たな現象も明らかになりました。

筆者による報告の後、Yulong Li博士のグループからも類似の設計による蛍光オキシトシンセンサーGRABOT1.0が報告されました15)。彼らの論文でも、軸索と樹状突起からのオキシトシンの放出には異なる特性があることや、オスの求愛行動中の脳部位によるオキシトシン動態の違いといった興味深い結果が報告されています。

5.さいごに

筆者らの蛍光オキシトシンセンサーの開発により、生きた動物の脳内からオキシトシン濃度変化をリアルタイムで計測することを実現できるようになりました。今回実験を実施したのは限られた実験条件下のみであり、オキシトシンとの関連が示唆されている生理機能や病態はまだ数多く残されています。今後幅広い研究への応用が期待されます

しかしながらセンサーの感度や定量性といった点に課題はまだ残されています。学会などで話をすると、最新型の遺伝子コード型の蛍光Ca2+センサーとの性能差について問われることがありますが、約20年の歴史の差があり、まだまだ比較できるレベルに達しているとは言えない状況です。また、今回開発した単一波長の蛍光強度を計測するタイプのセンサーは、基準値からの「相対値」を計測できますが、「絶対値」の定量は困難です。さらなる改良を重ねて、感度のよい計測や定量的な計測を実現できる「次世代型の蛍光オキシトシンセンサー」の開発を目指していかなければなりません。

以上のように、オキシトシンのような細胞外伝達分子をとらえる技術はまだまだ発展途上です。線虫の脳の研究で著名なロックフェラー大学のCori Bargmann博士は、脳を宇宙になぞらえ「it is the dark energy of the nervous system, inferred but not measured」と記述しています16)。脳内の暗黒物質を追い求める研究はまだまだ続きそうです

参考文献

  1. Vigneaud, V. D. et al. : J. Biol. Chem., 205, 949 (1953).
  2. Dale, H. H. : J. Physiol., 34, 163 (1906).
  3. Yalow, R. S. and Berson, S. A. : J. Clin. Invest., 39, 1157 (1960).
  4. Engvall, E. and Perlmann, P. : Immunochemistry, 8, 871 (1971).
  5. Leng, G. and Sabatier, N. : J. Neuroendocrinol., 28, 10.1111 (2016).
  6. Leng, G.et al. : J. Endocrinol., 226, T173 (2015).
  7. Bito, L.et al. : 13, 1057 (1966).
  8. Adams, R. N. : Anal. Chem., 48, 1126A (1976).
  9. Jarosova, R. et al. : Anal. Chem., 94, 2942 (2022).
  10. Denk, W. et al.: Science , 248, 73 (1990).
  11. Miyawaki, A. et al. : Nature, 388, 882 (1997).
  12. Patriarchi, T. et al. : Science, 360, eaat4422 (2018).
  13. Sun, F. et al. : Cell, 174, 481 (2018).
  14. Ino, D. et al. : Nat. Methods, 19, 1286 (2022).
  15. Qian, T. et al. : Nat. Biotechnol., AOP.
  16. Bargmann, C. I. : Bioessays,34 , 458 (2012).

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