【総説】ロバストな高移動度n型有機半導体材料の開発
本記事は、和光純薬時報 Vol.88 No.3(2020年7月号)において、1 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻・2 JST さきがけ 岡本 敏宏様1, 2 、熊谷 翔平様1に執筆いただいたものです。
はじめに
情報化社会の発達が急速に進む現代において、スマートフォンやパソコンなどの電子機器・情報端末は私たちの日常生活において欠かすことのできないものとなっている。このような機器には現在シリコンを主とした無機半導体デバイスが利用されているが、重い、硬い、またデバイス作製に 300−1000 ℃の高温が必要など、多用途性や環境負荷などの面から改善が望まれる。そこで近年では、有機半導体を用いたデバイス(有機半導体デバイス)が関心を集めている。
有機半導体は弱い分子間力により集合した分子性固体であり、軽量かつ機械的に柔軟であることに加え、印刷による 100 ℃程度の低温プロセスが適応可能であり、プリンテッド/フレキシブルエレクトロニクスに根差した多種多様なハイエンドデバイスの開発において鍵となる半導体材料として期待されている。
例えば、有機半導体デバイスの一つである有機電界効果トランジスタ(Organic Field-Effect Transistor, OFET)は集積論理回路などへの応用が期待されるが、その社会実装を実現するためには、デバイス性能の指標である電荷移動度(以下、移動度と略す)の向上が必須である。共有結合からなる無機半導体とは対照的に、有機半導体では分子軌道の弱い重なりを介して電荷輸送を行っているため、移動度が低くなりやすい。また、弱い分子間力により集合体構造を形成しているために、室温で様々に分子運動(分子間振動)することで移動度が低下することも報告されている 1-3)。
両者を克服する手段として、固体中で分子間力を高めることによる分子間振動の抑制と、密な集合体構造を形成させることによる分子軌道の重なりの増強が重要と考えた。言い換えると、無機半導体の高い電荷輸送性の起源であるバンド伝導モデルに基づいた有機半導体の開発である 4, 5)。バンド伝導モデルにおいて、特に分子間力を高めることによる移動度向上の方策は、一方で溶解性の低下を招き、印刷プロセス適性を有する有機半導体の開発は容易でない。
有機半導体の電荷輸送を担うベンゼン環などのπ電子系化合物は、OFETにおいて大気安定な電極としてよく用いられる金(Gold)や炭素(Carbon)電極と正孔の輸送に携わる最高被占軌道(Highest Occupied Molecular Orbital, HOMO)の相性を考慮すると、正孔輸送性(p 型)有機半導体の開発が容易であるため、活発に研究開発が行われている。p 型有機半導体に関しては、アモルファスシリコンよりも1桁以上高い 10 cm2 V− 1 s− 1 級の移動度を有し、印刷プロセス適性且つ高い環境ストレス耐性を示す材料が報告されている 6-8)。
しかしながら、ハイエンドデバイス開発のためには、同様の性能を示す電子輸送性(n 型)有機半導体の開発が急務である。n 型有機半導体では、キャリア注入障壁と大気安定性の観点から、そもそも電子の輸送に携わる最低空軌道(Lowest Unoccupied Molecular Orbital, LUMO)準位を十分に深めることが大前提となるために、分子設計における制限が多く、p 型有機半導体と比べて材料開発は極めて遅れている。
我々は最近、① 深い LUMO 準位(ELUMO : ≤ − 4.0 eV vs. 真空準位)、②有効な分子軌道の重なり(トランスファー積分または有効質量)、③分子間振動の抑制を達成し得る、バンド伝導モデルに基づいた実用に耐えうる高性能 n 型有機半導体材料の開発を報告している 9)。本研究では、これまで活発に研究がなされている代表的な n 型有機半導体分子の一つである 3,4,9,10- ペリレンテトラカルボン酸ジイミ ド(Perylene-3,4,9,10-tetracarboxylic diimide, PDI)骨格に対し、窒素元素を導入した新規なベンゾ [de] イソキノリノ [1,8-gh] キノリン -3,4,9,10- テトラカルボン酸ジイミド(Benzo[de] isoquinolino[1,8-gh]quinoline-3,4,9,10-tetracarboxylic diimide, BQQDI)骨格を設計した(図 1)。
電気陰性な窒素原子をπ電子系骨格中に導入することで、BQQDI は PDI に比べて 0.36 eV 深いELUMO を有することが密度汎関数(Density Functional Theory, DFT)計算により予想された。同時に、最適な位置に導入された窒素原子は隣接した水素原子やカルボニル基の酸素原子を巻き込んだ多点相互作用を形成すると想定され、加えてπ共役面同士が積層することで、密な二次元集合構造をとることが期待された。
本稿では、塗布型単結晶 OFET 評価によって特に高移動度を示したフェネチル基(R=C2H4Ph)をイミド基の窒素原子上に有する PhC2−BQQDI に関して、合成、化学安定性、集合体構造および OFET 特性とその環境ストレス耐性について解説する。
合成
まず 1,5- ジニトロアントラキノンを出発原料として 7 ステップで BQQ 酸無水物(BQQ−TCDA)を合成した(スキーム)。BQQ−TCDA は BQQDI 誘導体合成のための鍵化合物であり、置換基とするアミンおよびプロピオン酸の存在下、o- ジクロロベンゼン中で加熱することで、様々な置換基を有する BQQDI 誘導体(R−BQQDI)を合成することができる。反応後、粗体は再結晶および昇華精製により精製可能であり、例えば PhC2−BQQDI は昇華精製を一度行うことでデバイス評価に適した品質(>99%、LC 純度)の材料として得ることができた。
LUMO 準位の推定、大気・熱安定性評価
BQQDI 誘導体のELUMO は、溶解性に優れるアルキル置換 BQQDI(4-Hep−BQQDI)を用いたサイクリックボルタンメトリー(Cyclic Voltammetry, CV)により、−4.11 eV と推定された。この値は計算値とよく一致しており、PhC2−BQQDI を含みイミド上にアルキル鎖を有する BQQDI 誘導体ではほぼ共通の ELUMO を有すると言える。窒素気流下での熱重量-示差熱分析(Thermogravimetry−Differential Thermal Analysis, TG−DTA) により PhC2−BQQDI の熱物性を評価したところ、5% 重量減少を示した温度(T95%)である 421 ℃まで分解や相転移を示唆する熱異常が観測されなかった。
このことから、PhC2−BQQDI が高い熱安定性を有しており、昇華精製による高品質の材料が得られたことを裏付けた。また、4-Hep−BQQDI の溶液、または真空蒸着法により成膜された厚み 100 nm の PhC2−BQQDI 薄膜について、大気保管の下、紫外可視分光光度計を用いた紫外可視吸収(UV−Vis)スペクトルの経時変化を観察した。溶液、薄膜いずれにおいても一ヶ月間 UV−Vis スペクトルに変化は見られず、BQQDI 誘導体の高い大気・化学安定性が確認された。
集合体構造解析と伝導計算
PhC2−BQQDI の 単結晶 X 線構造解析を室温で行ったところ、図 2 に示すような集合体構造が観測された。特に、隣接する BQQDI 骨格間では分子設計で目論んだ多点分子間相互作用が実際に見られ、全体としては、二次元的な電荷輸送を可能とするブリックワーク型集合体構造を構築することが明らかとなった。
また、興味深いことに、フェネチル側鎖のフェニル基は各二次元層構造間でネットワーク状の相互作用を形成していた。結晶構造を基に電荷輸送能を見積もるために、トランスファー積分の計算を行った結果、π共役面が積層(πスタック)した隣接分子間だけでなく、分子横方向に多点相互作用した隣接分子間においても優位なt 値が算出された。すなわち、πスタックと直交方向に対しても有効な伝導パスを付与できた。この結果、得られた二次元的な電子伝導性は、バンド計算により示された異方性の小さな有効質量に繋がった。
トランジスタ特性とその環境ストレス耐性評価
PhC2−BQQDI の OFET 評価は、真空蒸着法により得られた多結晶薄膜および塗布製膜法の一つであるエッジキャスト法 10)により得られた単結晶薄膜のそれぞれについて実施した(以下、それぞれ多結晶 OFET、単結晶 OFET と略す)(表)。多結晶 OFET は大気中でも良好に n 型駆動し、また大気中での長期保管に対しても極めて安定であり、一ヶ月後でも初期の 90% 以上の移動度が保たれていた。成膜条件の最適化などにより、多結晶 OFET の性能はさらに向上することが見込まれる。
表.PhC2−BQQDI の OFET 特性まとめ
製膜法 | 基板温度 Tsub(℃) |
最高電子移動度 a μmax(cm2 V−1s − 1) |
閾値電圧 b Vth(V) |
---|---|---|---|
エッジキャスト法 (単結晶 OFET) |
120−130 | 3.0 | 3−7 |
真空蒸着法 c (多結晶 OFET) |
140 | 0.49 | 1−3 |
a)飽和領域で評価、チャネル長 200 μm。b)ゲート絶縁体は薄く表面処理された 200 nm 厚の SiO2。c)半導体膜厚 40 nm。
一方、単結晶 OFET(図 3)は、大気中、最大で 3 cm2 V−1 s−1 の移動度を示し且つ、近年提案された信頼性因子 11)は 89% と推定された。またホール効果測定でも、バンド伝導性および同等の高移動度が実証された。したがって、PhC2−BQQDI はバンド伝導性に立脚した高移動度かつ高信頼性の n 型有機半導体材料として大きな期待が持たれる。
さらに、単結晶 OFET はシリコン基板・プラスチック基板問わず作製可能であり、半年以上の長期大気安定性や 150 ℃を超える高熱ストレス耐性を有することが確認された。加えて、フォトリソグラフィー技術を用いた集積回路への応用試験にも成功しており、比較的過酷な環境ストレスやデバイス作製プロセスへの耐性も高い、実用的な材料であることが明らかとなった。
分子動力学計算による分子間振動の検証:既存材料との比較を通じて
PhC2−BQQDI における分子設計指針の効果を検証する上で、バンド伝導性を示すことが知られる PDI−FCN2 12)と比較、検証を行った。同様の素子構造での PDI−FCN2 単結晶 OFET は最大移動度 1.3 cm2 V−1 s−1 となった一方、バンド計算から得られる有効質量の結果では、PhC2−BQQDI よりも高い移動度が予期された。
そこで、両者の単結晶構造解析の結果を基に分子動力学(Molecular Dynamics, MD)計算を行い、一定時間後の座標を用いてトランスファー積分のバラつきを分析した。その結果、PDI−FCN2 は PhC2−BQQDI よりも激しく運動するためにトランスファー積分のバラつきが大きく、分子間振動により電子伝導が妨げられることが示唆された。
このことから、BQQDI 骨格自身が形成する隣接分子との多点相互作用による分子間力の増強や、特に PhC2−BQQDI で見られた側鎖間の相互作用は、電荷輸送に関与する分子運動の抑制に重要な役割を果たしていることが推察される。また同時に、分子間振動を抑制することが、今後の有機半導体の高移動度化において非常に重要な研究開発戦略であることを意味すると言える。
おわりに
本研究では、分子軌道準位・集合構造・分子間振動を同時に制御可能な合理的な分子を設計し、実現することで、電子移動度および環境ストレス耐性にも優れる実用的な高性能 n 型有機半導体の開発に成功した。PhC2−BQQDI をはじめとする本 BQQDI 骨格は、フレキシブルディスプレイや IoT テクノロジーに必須の電子タグあるいはマルチセンサーなど、多岐に渡る次世代有機半導体デバイスにおける研究・産業の戦略材料となることが期待される。また、枚挙にいとまがない有機化合物の構造多様性および創造性に立ち返ると、本研究で得られた知見を基軸とした新しい分子設計の繁栄が、今後革新的な有機半導体材料への発展に繋がることが大いに期待されるだろう。
謝辞
本稿の成果は、多くの共同研究者の協力のもと成し得たものである。また、本稿の一部は、科学研究費補助金基盤研究 B(No. 17H03104)、科学技術振興機構さきがけ「微小エネルギーを利用した革新的な環境発電技術の創出」領域(谷口研二研究総括、秋永広幸研究副総括)(No. JPMJPR17R2)、富士フイルム株式会社の支援により進められたものである。ここに深く感謝申し上げる。
参考文献
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