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【総説】産業応用を見据えた高性能有機半導体材料の開発

本記事は、和光純薬時報 Vol.86 No.2(2018年4月号)において、東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 岡本 敏宏 様に執筆いただいたものです。

はじめに

有機電界効果トランジスタ(OFET)は、機械的に柔軟かつ軽量、低コスト・低環境負荷の塗布プロセスによって作製可能な有機半導体材料を活性層に用いており、プリンテッド・フレキシブルデバイスなど次世代エレクトロニクスへの応用が期待されている。

図1.有機半導体の移動度向上による市場の拡大
図1.有機半導体の移動度向上による市場の拡大

有機半導体材料の研究において、集積回路やセンサーなどの実デバイス応用による巨大な市場形成を実現するためには、デバイス性能の指標となるキャリア移動度(以下、移動度と略す)の向上が不可欠である(図 1 参照)。高いキャリア移動度に加えて、材料として必要な化学的かつ熱的安定性、塗布プロセス可能な溶解性、素子作製プロセスや使用環境における高温条件下での素子の熱ストレス耐久性が求められる。

既存の半導体は、ペンタセンなどの縮合多環芳香族骨格に嵩高い置換基1)やアルキル基2)が導入された分子構造をもっており、溶解性を付与できる一方で、結晶相の安定性が低下し、素子の熱ストレス耐久性が犠牲になっていた3)

つまり、溶解性の改善と素子の熱ストレス耐久性はトレードオフの関係にあり、これらの両立する有機半導体の開発が急務であった。

最近、我々はアルキル置換硫黄架橋 V 字型ビナフタレン(DNT-V)誘導体の屈曲型パイ共役系骨格が塗布単結晶薄膜で高い移動度と熱ストレス耐久性を有する OFET 材料として有望であることを報告している4)。しかしながら、DNT-V およびそのアルキル置換体はイオン化ポテンシャルが 5.46 eV と高く、デバイスが伝導し始める電圧(駆動電圧)が大きい問題があった。

図2.DNT-VとTBBT-Vの違い
図2.DNT-VとTBBT-Vの違い
a) 分子軌道と b) 置換基によるHOMO準位の変化

また、DNT-V 骨格への直接の置換基導入は位置選択性が悪く、さまざまな誘導体の合成展開が容易ではなかった。ごく最近、我々はビナフタレンの量末端のベンゼン環をチオフェン環に置き換えたチエノ [3,2-f :4,5-f '] ビス [1]ベンゾチオフェン(TBBT-V, 図 2a)骨格に着目した。

TBBT-V は DNT-V と同様の高移動度半導体材料として期待され、ダイポールモーメントの増大による溶解性の向上が期待できる。また、TBBT-V は末端のチオフェン環のα位プロトンがほかのプロトンよりも反応性が高いため、各種置換基を選択的に導入可能であり、これにより、各種化合物の誘導化、集合体構造、溶解性、デザイン特性のチューニングが可能となる。

さらに、α位の軌道係数の寄与が大きいため、置換基の導入により HOMO レベルを浅くすることが可能となり、DNT-V 骨格で問題であった駆動電圧の改善も期待できる(図 2b)。

本稿では二種類のアルキル鎖を有する TBBT-V 誘導体の合成およびそれらの基礎物性、集合体構造、蒸着膜および塗布膜のトランジスタ特性5)について解説する。

合成

TBBT-V 骨格は、Necker らにより報告されている手法に従い、合成を行った6)。両末端チオフェンのα位のブロモ化を経て、ブチル、デシル誘導体およびデシルチエニル誘導体を良好な収率で得た(スキーム 1)。

スキーム1.アルキルTBBT-Vの合成
スキーム1.アルキルTBBT-Vの合成

大気・熱安定性評価と集合体構造解析

得られた有機半導体について、紫外可視分光光度計を用いて、化学的安定性の評価を行った。一分子の安定性を評価するために溶液の、また固体の安定性を評価するために 100 nm 程度の厚みの薄膜の UV-vis 吸収スペクトルの経時変化を試料調製直後から約 2 週間後まで測定した。

すべての試料は大気中で保管していたが、いずれの分子においても、2 週間ではスペクトルに変化は見られず、すべての TBBT-V 誘導体は溶液および固体中で化学的に安定であることがわかった。

有機半導体材料の熱的挙動を評価するために、熱重量測定(Thermogravimetry, TG)と示差熱分析(Differential Thermal Analysis, DTA)の同時測定(TG-DTA 測定)を行った。測定の結果、一連の化合物は分解することなく、昇華もしくは融解後に蒸発することがわかった。このことから、得られた誘導体は化学的かつ熱的に安定な分子群であり、再結晶や昇華精製を繰り返すことで純度の向上が可能であった。

つづいて、溶液から単結晶を作製し、X 線構造解析装置を用いて分子集合体構造解析を行った。TBBT-V 誘導体は分子軌道計算により最適化された分子構造では平面分子となるが、単結晶中ではすこし折れ曲がった構造(11.27°)を有し、これはこれまで報告されている棒状パイ電子系には見られない屈曲型パイコア特有の構造である(図 3a)。

また、パッキング構造は層間でラメラ構造を形成し、層内では二次元伝導に有利なヘリングボーン形構造(図 3b)を形成していることがわかった。

図3.TBBT-C<sub>10</sub>結晶中の a) 分子構造と b) 集合体構造
図3.TBBT-C10結晶中の a) 分子構造と b) 集合体構造

薄膜の作製とトランジスタ特性評価

一連の化合物の半導体特性は、蒸着法もしくは塗布法により薄膜を作製し、有機電界効果トランジスタ(OFET)で評価した。特に、単結晶薄膜での評価は、集合体構造と伝導性との関係を明らかにできるだけでなく、外因的な結晶粒界がないため、半導体分子の本来の伝導性を評価できる利点がある。有機半導体単結晶薄膜は、筆者らの研究室で開発した塗布結晶化法であるエッジキャスト法7)により作製した(図 4a)。

典型的なトランジスタ特性として、TBBT-C10 の単結晶デバイスの伝達特性および出力特性を図 4c-d に示した。一連の化合物のトランジスタは、いずれも負のゲート電圧の印加時にドレイン電流が増加しており、正孔が伝導する p 型トランジスタとして動作することがわかった。

図4.a) エッジキャスト法概念図、およびアルキルTBBT-V塗布結晶トランジスタの b) 素子構造(insert)半導体分子の集合体構造、c) 伝達特性、d) 出力特性
図4.a) エッジキャスト法概念図、およびアルキルTBBT-V塗布結晶トランジスタの b) 素子構造(insert)半導体分子の集合体構造、c) 伝達特性、d) 出力特性

特に Cn-TBBT-V の単結晶薄膜トランジスタは 5 cm2/Vs を超える世界最高レベルの移動度を示し、また、DNT-V と比較して明らかな閾値電圧の改善が見られ、有機半導体材料として高いポテンシャルを有していることを明らかにした(表 1)。

表1.アルキルTBBT-Vの各種トランジスタの素子特性のまとめ
表1.アルキルTBBT-Vの各種トランジスタの素子特性のまとめ

おわりに

本稿において、筆者らが最近新たに開発した V 字型パイコアである TBBT-V について述べた。これら一連の TBBT-V を母骨格とした有機半導体分子群は、有機合成化学の学術的イノベーションを基盤とし、かつ実用化での適性に優れた化合物群である。即ち、プリンテッドエレクトロニクス応用に不可欠な、高化学安定性、高熱安定性、高溶解性、高移動度を有し、しかも簡便かつ効率的な手法で合成可能な材料である。

このように、TBBT-V 誘導体は、有機エレクトロニクス分野に新しい潮流を起こすに違いなく、次世代エレクトロニクス産業の戦略物質となりうる。

謝辞

本稿の成果は、多くの共同研究者の協力のもと成し得たものである。また、本稿の一部は、科学研究費補助金基盤研究 B(No. 25288091,17H03104)、科学技術振興機構さきがけ「分子技術と新機能創出」領域(加藤隆史研究総括)(No. JPMJPR13K5)、富士フイルム株式会社の支援により進められたものである。ここに深く感謝申し上げる。

参考文献

  1. Anthony, J. E. et al. : J. Am. Chem. Soc., 123, 9482 (2001). DOI: 10.1021/ja0162459
  2. Takimiya, K. et al. : Adv. Mater ., 23, 1222 (2011). DOI: 10.1002/adma.201001283
  3. Iino, H. et al. : J. Non-Cryst. Solids, 358, 2516 (2012). DOI: 10.1016/j.jnoncrysol.2012.03.021
  4. Okamoto, T. and Takeya, J. et al . : Adv. Mater., 25, 6392 (2013). DOI: 10.1002/adma.201302086
  5. Okamoto, T. et al . : J. Mater. Chem. C, 5, 1903 (2017). DOI: 10.1039/C6TC04721A
  6. Neckers, D. C. et al. : J. Org. Chem., 70, 4502 (2005). DOI: 10.1021/jo048010w
  7. Takeya, J. et al . : Appl. Phys. Express , 2, 111501 (2009). DOI: 10.1143/APEX.2.111501
  8. Minari, T. et al. : Appl. Phys. Lett., 94, 093307 (2009). DOI: 10.1063/1.3095665

キーワード

キャリア移動度(移動度)

電荷 1 個あたりの伝導率であり、半導体中での電荷の移動しやすさの指標となる。値が大きいほど伝導しやすいことを意味する。易動度と表記される場合もある。

パイ電子系

炭素原子による主骨格を有し、一重結合と二重結合が交互に連なった共役二重結合をもつ化合物。特に、環状の共役二重結合を形成し芳香族性を有する化合物は芳香族化合物と呼ばれる。

プリンテッド・フレキシブルデバイス

プラスチックのような機械的に柔軟な電子機器をインクジェットプリンタや判子のような印刷プロセスによって作製する技術はプリンテッド・フレキシブルエレクトロニクスとよばれる。これを実現する材料として、溶媒に溶け、プラスチックのように柔らかい有機半導体が注目されている。

分子軌道

分子内を運動する電子の空間分布を表す。有機半導体では、隣接する分子との分子軌道の重なりを介して電荷が伝導する。

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