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【総説】LA-ICP-MS法による定量分析のための標準試料Solid scaleの開発とその応用例

本記事は、和光純薬時報 Vol.91 No.4(2023年10月号)において、富士フイルム株式会社 解析技術センター 寺尾 祐子様、椙山 卓郎様、平兮 康彦様、佐藤 琢也様、岩戸 薫様、宮下 陽介様、
東京大学大学院 理学系研究科 平田 岳史様に執筆いただいたものです。

1.はじめに

1980年にHoukらによって報告された誘導結合プラズマ質量分析法 (ICP-MS法)1) は、周期表のほとんどすべての元素を高い効率でイオン化できることから、高感度かつ迅速な元素分析法として様々な分野で広く活用されている。ICP-MS法はイオン源が大気圧であるため、分析目的に応じて様々な試料導入法の適用が可能だが、現在、最も完成度が高く、汎用されているのは、溶液試料をネブライザーでプラズマに噴霧してイオン化する溶液噴霧導入法である。一方で、溶液噴霧導入法で難溶解性固体試料を分析する場合、酸による化学分解などで溶液化する必要があり、危険性の高い強酸 (硫酸やフッ酸など) を使用すること、前処理時に試料汚染する可能性があること、また、溶媒による試料希釈 (場合によっては1/1,000以下に希釈) などの課題があった。これらの課題を解決するため、固体試料を溶液化せず、そのまま直接分析する手法として開発された手法が、試料導入にレーザーアブレーション現象 (LA) を利用するLA-ICP-MS法である2,3)。LA試料導入法を用いることにより、固体試料を前処理なしで迅速に分析できるだけでなく、固体試料中の局所分析やイメージング分析が可能となった。本稿では、LA-ICP-MS法による定量分析に必要な標準試料「Solid scale」の開発の経緯とそのキャラクタリゼーション結果、および応用例について紹介する。

2.LA-ICP-MS法

固体試料にレーザーを照射すると、レーザーの光エネルギーが熱エネルギーに変換され、照射部分の温度が急激に上昇し (条件によっては10,000℃を超えることもある)、試料構成元素が爆発的に気化、あるいはエアロゾル化される。これがレーザーアブレーション現象の概要であり、このようにして生じた試料エアロゾルをヘリウムなどのキャリアガスでプラズマイオン源に導入して質量分析するのがLA-ICP-MS法である。

アブレーション用レーザーとしては、ナノ秒 (ns、10−9秒) のパルス幅を有するNd : YAGレーザーの第5高調波 (213 nm) やフェムト秒 (fs、10−15秒) のパルス幅を有するTi : Sapphireレーザーの第3高調波 (260 nm) などの短波長でパルス幅の短いレーザーが用いられる。このような紫外域の短パルスレーザーを用いるのは、元素分別効果 (固体試料の化学組成とアブレーションで発生した試料エアロゾルの化学組成が一致しない現象) を抑制し、正確な分析を行うためである。短波長レーザーを用いることで試料エアロゾルを小さくすることができ、これにより、プラズマ内でのイオン化を促進し元素分別を抑制できるだけでなく (系統誤差低減)、プラズマ温度の低下によるマトリックス効果増大やスパイク状の信号も抑制できる (偶然誤差低減)。
また、フェムト秒レーザーのような極短パルスレーザーを用いることにより、従来は困難であった金属のような高い熱伝導性を有する試料を分析することが可能となった。これは、レーザーのパルス幅と試料の熱伝導の時間スケールの関係から理解できる。金属の熱伝導の時間スケールはおよそ1ピコ秒(ps、10−12秒) であることが知られている。試料の熱伝導の時間スケールより長いパルスレーザーを用いると、アブレーション現象が起こる前に熱が拡散してしまい、金属試料の融解や衝撃による飛散が生じ、再現性良く試料エアロゾルをイオン源であるプラズマに導入することができない。熱拡散の影響を抑制して金属試料を再現性良くエアロゾル化するためには、フェムト秒の時間幅を持つ極短パルスを用いればよいと考えられる。実際に、フェムト秒レーザーを用いたLA-ICP-MS法により、鉄鋼試料中の微量元素を前処理なしで直接分析した事例が報告されている4)

フェムト秒レーザーの導入と並ぶもうひとつの大きな進展として、高速多点レーザーアブレーション法が開発されたことがあげられる。この手法の特徴は、従来のように試料ステージを動かすのではなく、可動鏡 (ガルバノミラー) の角度を精密かつ高速に制御することで、レーザー照射位置を正確かつ高速に移動する手法である5,6)。例えば、照射位置移動速度10 m/s以上、2 cmの範囲内では1μmの位置分解能での分析が可能であると報告されている7)。なお、高速多点レーザーアブレーション法においては、ガルバノミラーが有する高速走査性に追随できる発振周波数 (1 kHz以上) のパルスレーザーが必要になる。この点においても、1 MHz程度 (1秒間に100万回レーザー照射) で発振可能なフェムト秒レーザーとの組み合わせが理想的と考えられる。

フェムト秒レーザーを用いた高速多点レーザーアブレーション法 (以下、fsLA-ICP-MS法と略記) の特徴を活かした事例として、Agナノ粒子をタマネギの細胞組織に暴露した試料を用いて、Agナノ粒子と溶存Ag成分を弁別してイメージング分析した例が報告されている8)。この事例は、TOF-SIMSなど真空系を必須とする分析法と異なり、試料室が大気圧であるLA-ICP-MS法が生体材料の優れたイメージング法となることを示したものである。また、fsLA-ICP-MS法により、複数の固体試料をあたかも溶液を混合するようにエアロゾル中で混合できるので、適切な標準試料を作製できれば、これまでLA-ICP-MS法の課題とされてきた定量分析 (検量線法、内部標準法、標準添加法) が可能となる。以下、我々が開発したLA-ICP-MS法による定量分析のための標準試料Solid scaleについて述べる。

3.標準試料Solid scaleの開発

これまで、LA-ICP-MS法で定量分析を行う場合、標準物質としてガラス標準物質や鉄鋼標準物質などが用いられてきた。これらは含まれている元素種や濃度が限定されており、それらが分析対象と一致しない場合は使用が困難だった。また、分析対象とのマトリックスの違いによるICP-MS信号強度の変化が問題となり、試料中の元素濃度を正確に測定できない場合があった。そこで、我々は、生体材料も視野に入れ、有機マトリックスを用いた標準試料を開発することとした。標準試料を作成するためには、複数の元素をμm以下のオーダーで均一に分散する技術、低エネルギーで高速多点アブレーションするために必要な有機マトリックス (超高純度ポリマー) の合成技術、および均一なナノ薄膜の製膜技術が必要となるが、これらは全てFUJIFILMグループのコア技術である。これまでの研究開発で培ったナノ分散技術、超高純度ポリマー合成技術、精密塗布技術を駆使して、有機薄膜をマトリックスとした新たな標準物質「Solid scale」を開発した。

4.標準試料Solid scaleの特性

開発した標準試料「Solid scale」の外観を図1に、仕様を表1に示す。

図1.開発した標準試料Solid scaleの外観
表1.標準試料Solid scaleの仕様

超高純度ポリマーを主成分としたナノ薄膜 (シリコンウエハ上に成膜) にNa, Al, Mg, Ca, Ti, V, Cr, Mn, Fe, Ni, Cu, Zn, Mo, Ag, Cd, Sn, Ba, Pbの18種類の元素を均一に分散させたものである。膜厚が500 nmと非常に薄いので、低エネルギーで薄膜試料部が全てアブレーション可能である。各元素の濃度については、ブランク (含有元素なし)、および0.1 mg/kgから100 mg/kgまでの幅広い範囲をカバーしており、様々な定量分析の濃度校正に使用することができる。以下、Solid scaleのLA-ICP-MS信号の直線性、面内均一性、および経時安定性を調べた結果を紹介する。実験条件を表2に示す。

表2.実験に用いた測定条件

レーザーアブレーションは、すべての測定においてガルバノメトリック光学系を使用して行った。また、ICP-MS信号の直線性評価はMode 1、試料面内の均一性評価(6ヵ月経時品、調製直後品)はそれぞれMode 2,3の条件にて実施した。

信号強度の直線性

元素含有量0、0.1、1、10、100 mg/kgであるSolid scaleの濃度処方値とLA-ICP-MS信号強度の関係を調べた。代表的な6種の元素のICP-MS信号の直線性評価結果を図2に、全18種の元素の相関係数を表3に示す。

図2.代表的な6元素の処方値とICP-MS信号の直線性
表3.相関係数 (r)

18元素全ての相関係数は0.999以上と非常に高く、検量線精度が高いことがわかった。Solid scaleを用いることにより、幅広い濃度域での定量分析が可能になると考えられる。

面内均一性

Solid scaleの面内の均一性を調べた結果を表4 (変動係数) に示す。

表4.面内均一性と経時安定性

濃度100 mg/kgのSolid scale (1 cm角) の9領域 (各領域の大きさ:2 mm角、領域の間隔:1 mm) のLA-ICP-MS信号強度を比較した。どの元素も変動係数は5%未満であり、面内の均一性が非常に高いとわかった。

経時安定性

Solid scaleを専用容器に入れて、大気下室温で6ヶ月間保管した後、LA-ICP-MS信号の直線性と面内均一性を調べた (表4)。信号の直線性、面内ばらつきともに、調製直後品と同様であり6ヶ月経時しても変化しないことがわかった。Solid scaleは、調製後、少なくとも6ヶ月間は安定に使用できると考えられる。なお、43Caの相関係数がやや低いのは、He-KEDで測定したことにより、感度が低下したためと考察した (表3はH2モードで測定)。
LA-ICP-MS信号の直線性、面内均一性、および経時安定性の評価結果より、開発した標準試料Solid scaleは、幅広い濃度領域における高精度な定量分析に活用できるものと期待される。

5.応用例

Solid scaleを用いた定量分析事例として、ポリマーフィルム中の元素定量と多検体定量分析の効率化を紹介する。なお、測定はそれぞれ表2のMode 3、2にて実施した。

ポリマーフィルム中の元素定量

厚さ100μm程度のPETフィルム中のTi (TiO2) を前処理なしで定量した。はじめに、Solid scale 0 mg/kg (金属元素を含まないブランク膜) と100 mg/kgの基板上の標準試料層を2 mm角、3 mm角、4 mm角を全層アブレーションして検量線を作成した (図3)。

図3.Solid scaleで作成したTiの検量線

次に、フィルム試料の2 mm角を分析した。フィルム試料の正確なアブレーション量を知る手法としてアブレーション深さを触針式段差計で測定する方法や13Cの信号強度から見積もる手法が知られている。今回は、膜厚既知のSolid scaleの13Cの信号強度を基準にして、式①を用いて試料のアブレーション重量 (MSam) を求めた。

式①

ここで、MSTDはSolid scaleのアブレーション重量、I13C13Cの信号強度、Ccは試料中のC含率を示す。図4にTiの定量結果を示す。

図4.Tiの定量結果 (従来法の結果を併記)
エラーバー:位置違い (3か所) の標準偏差

検証のため、別途アルカリ融解法で求めた値と誤差5%以内で一致しており、Solid scaleを用いて正確な定量分析ができるとわかった。

多検体定量分析の効率化

LA-ICP-MS法は、試料交換が容易でガラス器具の洗浄などの手間がかからないことから、固体試料の直接分析のみならず、液体試料の迅速分析法としても活用できると考えられる。液体試料の多検体定量分析の効率化を目的として、細胞培養に用いる液体培地中の元素定量を検討した事例を紹介する。
液体培地中の元素濃度分布は非常に広く、濃度範囲が6桁以上にわたることも少なくない。LA-ICP-MS法で、液体試料を分析するスキームを図5に示す。

図5.液体培地の前処理スキーム

まず、液体培地を10倍、100倍、1,000倍に希釈し、各試料1μLをシリコンウエハ上に滴下乾燥させ、約2 mmΦの試料スポットを得た。次に試料スポットを含む3 mm角をソフトアブレーション9)することにより、シリコンウエハ上の試料を全量アブレーションした。定量は、0、0.1、1、10、100 mg/kgのSolid scaleを用いて作製した検量線を使って実施した。結果を図6に示す。

図6.液体培地に含まれる元素の定量結果 (従来法の結果を併記)

Naのように数1,000 ppm含有されている成分から、Baのように数ppbと極微量な成分まで、従来の灰化/ICP-OES、MSでの定量結果と誤差20%以内で一致した。このことから、LA-ICP-MS法で液体試料の多検体定量分析を大幅に迅速化できると期待される。

6.おわりに

LA-ICP-MS法は、現在最も注目されている元素分析法のひとつである。なかでもフェムト秒レーザーとガルバノメトリック光学系を組み合わせたfsLA-ICP-MS法は、固体試料を前処理なしで直接分析できるだけでなく、生体試料を含む機能材料のイメージング分析、さらには液体試料の多検体定量分析の迅速化も可能とする画期的な分析手法である。課題であった定量分析に関しても、本稿で述べた標準試料Solid scaleなどを活用することで可能となった10)。開発したSolid scaleがLA-ICP-MS法のさらなる発展に寄与し、本小稿が少しでも読者諸氏の参考になれば幸いである。
開発にあたり、産業技術総合研究所の槇納 好岐博士、同 山下 修司博士、富士フイルム株式会社 鈴木 真由美フェローには、多大なご助言をいただきました。また、東京大学大学院 理学研究科 平田研究室の栗原 かのこ様をはじめとする学生の皆さんには、実験に関してご指導いただきました。心より感謝致します。

〔引用文献〕

  1. R. S. Houk, et al. : Anal. Chem., 52, 2283 (1980).
  2. J. S. Becker, et al. : Anal. Chim. Acta, 835, 1 (2014).
  3. D. Pozebon, et al. : J. Anal. Atom. Spectrom., 32, 88 (2017).
  4. T. Hirata, et al. : J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 67, 160 (2019).
  5. B. Fernandez, et al. : Anal. Chem., 80, 6981 (2008).
  6. T. D. Yokoyama, et al. : Anal. Chem., 84, 8892 (2011).
  7. Y. Makino, et al. : J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 67, 164 (2019).
  8. S. Yamashita, et al. : Bunseki Kagaku, 68, 1 (2019).
  9. Y. Makino, et al. : Metallomics (Springer, Japan), 93 (2017).
  10. Y. Terao, et al. : Bunseki Kagaku, accepted.

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