【連載】Wako Organic Chemical News No.03「スマートドラッグ」
今月の反応・試薬 「スマートドラッグの時代 」
サイエンスライター : 佐藤 健太郎氏
あまり品のよくない言葉で恐縮だが、「バカにつける薬はない」という言い回しがある。身体の病や傷を治すことはできるが、頭脳の働きをよくする薬だけはありえない、という意味だ。ところがこの言葉は、どうやら死語になろうとしている。頭をよくする薬、すなわち「スマートドラッグ」が開発され、一般にも普及しつつあるからだ。
加齢によって脳の認知機能が低下する、いわゆるアルツハイマー型認知症の治療薬は、現在最も社会的ニーズが高い医薬のひとつだ。このため、各社から様々なタイプの製品が発売されており、市場に出回っている。神経伝達物質であるアセチルコリンの量を増やすなどして、脳の働きを高めるものが一般的だ。
ではこうした薬を認知症患者ではなく、健常者が服用したらどうなるだろうか?神経細胞の働きが高まり、「頭がよくなる」のではないだろうか?実際に、この効果はあるといわれている。たとえば「ピラセタム」という化合物がそれだ。この薬は、欧米ではアルツハイマー病治療薬として一般的な薬であるものの、日本では2014年現在認可されていない。また、この構造を様々に変換したオキシラセタム、アニラセタムなどの誘導体も発売されており、「ラセタム系」と総称される。
ピラセタムは下図に示すようなごく簡単な構造で、5員環ラクタムを部分構造として含む。脳梗塞後の失語症などに有効というデータがあり、副作用は少ないとされる。健常者でも記憶力や学習能力の向上に役立つとされるが、こちらはきちんとした臨床試験の結果ではない。こうした薬はプラセボ効果も大きそうだから、本当の効果のほどは保証されたものとはいえない。
その上ピラセタムは、脳内のアセチルコリン消費量を増加させるなどの現象は観察されているものの、脳のどこにどう作用しているかなど詳しい作用機序は判明していない。そう聞くとあまり使いたい気にはならないが、すでに欧米においては最も普及したスマートドラッグとなっている。ある調査によれば、アメリカの大学生の7%、研究者の最大20%が、これらの薬の使用経験があるという。すでに我々の想像以上に、カジュアルに使われるようになっているのだ。
こうしたスマートドラッグの利用は、筆者の感覚としてはどこか気持ち悪いし、薬で能力を高めること自体、どうも受け入れがたいことと思える。実際、スマートドラッグの利用に何らかの規制をかけるべき、という意見も多いようだ。しかし仮に、こうした薬に何の副作用もないとしたなら、スマートドラッグを規制する必要はあるのだろうか?
試験の前にスマートドラッグを服用する者がいると、不公平になるという可能性はある。しかし、たとえば試験前にコーヒーを飲んで集中力を高めることを、規制しようという者はいないだろう。アスリートがよいシューズや器具を使って好記録を目指すのを、不公平とそしるわけにもいかない。要するに、どこに線を引くかという問題といえる。
しかしこうした薬の服用を野放しにすれば、大量服用など危険な使用法に走る者が出る可能性は高い。たとえば企業が社員にこっそりとスマートドラッグを飲ませ、成績を上げようとするなどの問題も出てきそうだ。その他にも多くのトラブルが起こるだろうことは、容易に予想される。
2008年にNature誌は「責任能力がある成人は、薬による認識能力の増強を認められるべきだ」とする論説を載せた。現在のように野放しで用いられている状態より、認可した上できちんと指針を定めて用いる方が安全だ、という論旨であった。
スマートドラッグをうまく使えるなら、人類に貢献する発明や学問的進歩を助ける可能性も十分ありうる。しかし研究は十分進んだとはいえず、どのような危険があるかはまだわからない。まだ日本ではあまり認識されていない薬だが、考えておかねばならないことは多そうだ。
注目の論文
①Transamidation of Carboxamides Catalyzed by Fe(III) and Water
Liliana Becerra-Figueroa, Andrea Ojeda-Porras, and Diego Gamba-Sánchez*
J. Org. Chem., Article ASAP DOI: 10.1021/jo500562w
各種アミド類をトルエン中、アミン及び触媒量の鉄(III)イオンと加熱することでアミド交換が起こる。アミド類の代わりにフタルイミドや尿素誘導体を用いても、同じく交換反応が進行する。反応の進行には微量の水が必須であり、硝酸鉄(III)九水和物を触媒に用いる条件がよい結果を与えている。
②Ni-Catalyzed Direct Reductive Amidation via C − O Bond Cleavage
Arkaitz Correa and Ruben Martin *
J. Am. Chem. Soc., Article ASAP DOI: 10.1021/ja5029793
ニッケル錯体の触媒存在下、ハロゲン化アリールまたはアリールエステルとイソシアナートから、ベンズアミド誘導体を作る。一酸化炭素を用いる既存の方法よりも操作性に優れ、安全な手法。亜鉛またはマンガンを、還元剤として加えておくのがポイント。
③SnAP reagents for the one-step synthesis of medium-ring saturated N-heterocycles from aldehydes
Cam-Van T. Vo, Michael U. Luescher and Jeffrey W. Bode*
Nature Chemistry 6, 310-314 (2014) doi:10.1038/nchem.1878
アルデヒドから、窒素を含む飽和ヘテロ環(7~9員環)を一挙に構築する試薬の報告。スズとアミノ基を含む試薬であるため、「SnAP(Sn amino protocol)試薬」と名付けられている。アルデヒドとアミンからいったんイミンを形成し、ここに銅触媒を加えることで環化を行い、目的物を得る。SnAP試薬自体は、市販試薬から数段階で合成可能。