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【総説】オキシトシンと社会の形成

本記事は、和光純薬時報 Vol.90 No.3(2022年7月号)において、麻布大学獣医学部 菊水 健史様に執筆いただいたものです。

哺乳類という進化がもたらした母仔間

我々ヒトを含む哺乳類に特徴的な機能として、胎盤形成を介して胎児を育て、授乳を含む養育行動によって子孫をより多く生存させることがあげられます。卵を産む魚類などの卵生の動物種や、卵をメスの体内で孵化させてから仔を産む爬虫類などの卵胎生の動物と比較すると、哺乳類の産仔数は非常に少ないかもしれません。また、生後間もない新生仔の個体は体温調節や運動機能などが未成熟な場合が多く、親は授乳など多くの資源を割いて仔を養育する必要があります。このような哺乳類の繁殖形態は一見すると「より多くの遺伝子を効率よく次世代に伝播する」という繁殖戦略の第一義から外れているように思えるかもしれません。しかし、哺乳類を対象とした研究で、生育環境が後天的に遺伝子発現修飾(エピジェネティクス)を変化させ、遺伝子発現が調節されることが明らかにされつつあります。このことは哺乳類の多くが未成熟かつ可塑性に富む状態で出産することは、仔は発達の過程において、様々な環境の情報を取り入れ、それに適した機能を個々の個体が獲得することができる、とも言えます。別の言い方をすると、哺乳類の進化戦略は、各個体が後天的に環境に大きく適応し得る可塑的な機能をそれぞれ獲得し、個体の生存確率を飛躍的に上昇させた、ということになります。母仔間の絆は、このような後天的な機能の獲得に大きな意味を持つことが想定されます。例えば、養育行動の良し悪しが仔のストレス制御に関わる遺伝子の発現を調整することがげっ歯類を用いた研究により明らかにされました。母仔間で、伝達されるものは、栄養学的な資源にかぎらず、母性行動や胎内における内分泌動態を介した、仔の成長戦略の情報を母親が仔に伝えている、ということです。
このことから、哺乳類の母仔間を中心とする家族形態は、「仔は自分の遺伝子を継承した個体」という意味に加えて「数少ない産仔に対して投じた労力を守る」という形でも観察されるようになります。例えば、家族で縄張りを守り、食物資源の分配がそれにあたります。そのため、哺乳類では基本的に母系社会を中心とした群れを形成します。また単独生活をする動物種でも、幼若動物がいる間は母を中心とする家族の群れになります。たとえば強固な群れを形成するオオカミではアルファと呼ばれるオスと同じくアルファと呼ばれるメスのペアが頂点に立ち、繁殖や資源の確保を行います。繁殖の権利を持つのは基本的にこのペアのみで、その他の成熟個体には繁殖の権利が得られません。群れの構成員の大半はそのオスメスの仔たちであり、この仔達のうちメスは3歳程度まで群れに残り、アルファのメスの産んだ若いオオカミの育仔を手伝います。一方、オスは性成熟を迎える2歳頃から群れを出て、新しいアルファになるための修行を始めると言われています。このように母系を中心とした群れの結束は養育環境を介した絆の形成に依存しており、その絆を元に、移動や獲物の確保などを一緒に行うことになります。このような形態が「群れ」の基本になります。

生命の継承としてのオキシトシンの役割

性経験や育仔経験のないげっ歯類のメスは出産前、仔マウスや仔ラットを忌避しますが、その後出産を経るとただちに養育行動を示し、母性行動を獲得します1)。このような劇的な行動のスイッチングをもたらす要因として妊娠や出産に伴って変化する内分泌の機能、特に生殖腺から分泌されるエストロゲンやプロゲステロンの動態と、中枢におけるその受容体分布の変化が知られています。脳内部位として、視床下部内側視索前野(mPOA)が重要で、この部位には母性ホルモンと呼ばれるオキシトシンの受容体の発現が多く観察されます2)。オキシトシン受容体は分娩前のエストロゲン上昇によって増加します。 例えばオキシトシン神経細胞が多く存在する視床下部室傍核(PVN)の破壊やオキシトシンの作用阻害薬を分娩後のメスラットに投与すると養育行動の発現が阻害されることから、養育行動の誘起には、オキシトシンの分泌が必要であり、PVNで産生されたオキシトシンがmPOAに運ばれて、作用することで母性行動が誘起されると考えられています2)。興味深いことに、一度養育行動を獲得したメスラットのオキシトシン機能を阻害しても母性行動は維持されることから、オキシトシンの役割は母性の獲得と考えられます。妊娠や出産に伴う内分泌の変化だけが母性行動の発現を促しているわけではありません。げっ歯類では、メス個体が仔との触れ合いによって得られる接触シグナルが養育行動の発現と維持に重要です3)。たとえ分娩を経験していても、その後に仔を隔離し、母個体と直接接触できないようにしておくと、仔に対する反応性が1週間程度で減少します。このことは、分娩後の養育行動の維持には、母と仔が身体的に接触する必要があることを意味します。とくに仔から母の乳房への吸乳シグナルは乳汁射出を刺激するためにオキシトシンの分泌を増加させますが、このとき分泌されたオキシトシンは、末梢血中を介して乳腺に作用するだけでなく、中枢神経系に作用して養育行動の発現を促します1)。また毛づくろいなどの皮膚接触でもオキシトシンの分泌が生じることから、オキシトシンが母仔の接触と高レベルの養育行動の維持を仲介していると考えられます。このことからオキシトシンは母仔間の関係性、特に仔からのアタッチメントと養育の経験依存的な行為を介した絆の形成の中心的役割を担うといえます3)

仔と母親のやりとりにおけるオキシトシンの役割

アタッチメント行動とは、特定の対象との近接によってネガティブな情動を軽減するための行動システムです。典型的には、母仔間のような幼若―擁護者の関係性において、仔が親を引き寄せ、自身のストレスや不安を軽減させるための行動です。多くの哺乳類の仔は体温調節や運動機能が未熟な状態で生まれてくるため、生後間もないころから親の養育行動を惹起するために様々なアタッチメント行動やシグナルを示します。その中で、仔がもつ特有の嗅覚シグナルは親が仔を認知するために重要なシグナルで、その例としてヒツジがあげられます。ヒツジは比較的大きな群れで生活する季節繁殖動物です。このような動物では、群れで同じ時期に出産があるため、自分自身の仔を他のヒツジの仔と見分けて、育てなくてはなりません。このような養育行動の選択性は出産後、仔に付着している羊膜の匂いを人工的に洗い流すことで消失しますが、羊膜の匂いを自身の仔ではないほかの仔に付 着させると、その仔に対して養育行動を示すようになります4)。このことから自分の仔への選択的養育行動には、仔からの嗅覚シグナルを母が記憶することに依存していることがわかります。では、どのように記憶を形成しているのでしょうか。分娩や吸乳の刺激により母親の脳内で放出されたオキシトシンの一部は、嗅球に到達して神経細胞を興奮させます。このときに仔の嗅覚シグナルが嗅球に入力されることで、仔の匂いに選択的に反応する神経回路が形成され、この"記憶"を頼りに自身の仔に特異的な養育行動を呈するようになります。この出産24時間以内という感受期は極めて厳密に制御されているようで、この間に仔の匂い刺激への曝露を妨げる、あるいは嗅球にオキシトシン阻害薬を投与して記憶形成を阻害すると、母ヒツジは仔を拒絶するようになります。つまりオキシトシンは「これが我が仔」という記憶を形成していました。マウスでは、オキシトシンによる個体記憶や個体弁別の神経メカニズムが次々と解明されてきています。特に腹側海馬でのオキシトシンの役割は、最先端の技術を用いた、神経細胞間ネットワークによる記憶形成メカニズムを明らかにした素晴らしいものでした5)
仔が発する聴覚シグナル、すなわち仔の鳴き声も嗅覚シグナル同様に養育行動を誘起します。ヒトでは赤ちゃんの泣き声にお母さんが一生懸命対応してる姿が容易に思い出されると思います。聴覚シグナルは、離れてしまい姿が見えなくなってしまった親をすぐさま呼ぶのに適したアタッチメントシグナルです。げっ歯類の仔も巣や親から隔離されると幅広い超音波領域の音声を発します。母マウスは分離された仔マウスが出す超音波に接近行動を示し、仔マウスを探索します。また出産経験や育児経験のないメスマウスでは仔マウスの出す鳴き声への接近行動が観察されませんが、交尾経験や育仔経験を経ると仔マウス超音波への反応性が獲得されます。近年の神経細胞を対象とした電気生理学的研究によって、育仔経験のないメスマウスの聴覚野では、仔マウス超音 波に対して神経細胞は高い活性を示さないものの、母マウスになると特異的な活性を示すことが報告されました6)。この可塑的変化には視床下部からのオキシトシンの分泌が必要で、オキシトシンを介して、仔マウスの声に反応する神経回路が聴覚野で構築されていました。

オキシトシンの中枢機能解明

近年の分子遺伝学研究は、これまでの技術ではなしえなかった神経メカニズムの解明に寄与してきました。オキシトシン分子あるいは受容体の遺伝子の欠損マウスでは、個体識別能に障害が認められ、出会った相手を覚えられません。このことから、オキシトシンの根本的な生理的役割の一つは社会的認知と記憶形成といえます。その他、オキシトシン神経系を遺伝的に操作したマウスの研究から、オキシトシンが個体認知や社会的意思決定、不安記憶の形成などに深くかかわることが示されてきました7)。上述の母性行動の経験依存的獲得にもオキシトシンが関与します。処女メスマウスと母マウスを同居させておくと、次第に処女マウスも母性行動を示すようになります。筆者らの最近の研究で、母マウスが処女マウスに積極的に育児を教えること、その経験時に処女マウスのオキシトシン分泌が起こり、それを介して育児行動が獲得されることが分かりました。行動を詳細に解析すると、処女マウスは母マウスから巣に連れてこられたり、目の前に仔マウスを置かれたりと、積極的な養育参加が促されます。その際、処女マウスのオキシトシンが分泌され、そのオキシトシンが中枢で、養育にかかわる中枢を形成していました8)

オキシトシンを介した3つのポジティブループ

分娩や育仔などの社会経験はオキシトシン神経系を活性化させ養育行動を促します。初産よりも経産のほうが育児がうまくいくのはこのためですが、これはオキシトシン神経系が担っています。このことから、母個体は経験依存的にオキシトシン神経系を活性化させ、養育行動はポジティブループを形成しているといえます3)
ラットやマウスは多産で、一回の出産で8匹前後の仔を産みます。時に2匹あるいは3匹程度しか生まれない場合があり、この時には仔からの出産直後のアタッチメントシグナルとしての吸乳刺激が弱いため、母性行動が誘起できず母親は仔を見捨てて、食殺することがあります。つまり「母性は仔が育てている」ことになります。一方、母親からの養育行動は仔の身体的な成長と共に社会性を育んでいきます。仔が親を育て、親が仔を育てる、という双方向性の関係性が成立し、その過程を経ながら絆が形成されます。絆が形成されれば、母親が安全基地として機能し、社会的緩衝作用によって幼若個体を過剰なストレスから守ることができるようになります。また、養育行動を受けることで仔のオキシトシン神経系も刺激され、探索行動などのアタッチメント行動の発現が強化されます。つまり、母から仔への養育行動と仔から母へのアタッチメント行動も正のフィードバックとして機能し、母仔間の生物学的絆の形成をより強固なものとします。これらオキシトシン神経を介した、アタッチメント行動と養育行動という2つの正のフィードバックが母と仔の間に存在し、2個体間でポジティブループが機能することがわかります3)
母仔間の関係性は一時的な効果だけ ではありません。安定した養育環境を過ごすことで、仔は正常な情動や社会行動を発達させることができます。例えば幼少期の母仔間の絆形成が略奪されたアカゲザルでは、成長後の親和行動の障害が認められ、さらに他個体のストレス反応を減弱させる社会的緩衝作用に関わる機能も低下します9)。発達時に母親から密な養育行動を受けると、そのメスの仔が成長後に母親になると、同じように我が仔に対して高い養育行動を示すようになります。これは世代をも超えたポジティブループが存在していることを意味します。コロンビア大学のChampagneは、母仔間の絆が略奪された場合の、仔の神経系ならびに行動変化を調べました。母親からの養育行動の一つである毛づくろい行動を受けた頻度によって、将来の母性行動の発現が大きく変わること、そのときオキシトシン受容体の発現が変化することを明らかにしました10)
これらを踏まえると個体、母仔間、そし て世代間における3つのポジティブループが存在し、それぞれが別個に機能するのではなく、互いに密接に結びつくことで巨大な円環を構築していることが概観できます。まさに親和的関係性が社会の中で継代されている、そこにオキシトシン神経 系が関与することが分かってきました3)

さいごに

このように、オキシトシンは社会認知と個体間関係の形成に極めて重要です。オキシトシンの作用によって、母仔や雌雄間のパートナーが認識し合い、お互いを結びつけているというのは妥当な解釈でしょう。オキシトシンは、ヒトを含む多様な脊椎動物種に広く保存されている古典的な神経ペプチドです。私たちはヒトとイヌの絆形成においてもオキシトシンが関与することを明らかにしました。またヒトの心理研究ではオキシトシンによって、信頼や協力が促されることもわかりました。一方、内集団の結束を強固にするため、外集団に対する攻撃もオキシトシンが関与していました。人種の差別的な言動もオキシトシンの支配下にあります。今後、個体レベルの行動の理解のみならず、進化や動物行動学の観点からも、オキシトシンは極めて興味深く、重要な分子といえます。

参考文献

  1. Okabe, S. et al . : Psychoneuroendocrinology ,79, 20(2017).
  2. Fleming, A. S. et al . : Neurosci. Biobehav.Rev ., 23, 673(1999).
  3. Nagasawa, M. et al . : Front. Hum. Neurosci .,6, 31(2012).
  4. Keverne, E. B. et al . : Ann. N. Y. Acad. Sci .,652, 83(1992).
  5. Tao, K. et al . : Mol. Psychiatry.(2022).
    DOI : https://doi.org/10.1038/s41380-021-01430-5
  6. Marlin, B. J. et al . : Nature , 520, 499(2015).
  7. Ferguson, J. N. et al . : Nat. Genet ., 25, 284(2000).
  8. Carcea, I. et. al . : Nature , 596, 553(2021).
  9. Winslow, J. T. et al . : Neuropsychopharmacology ,28, 910(2003).
  10. Champagne, F. et al . : Proc. Natl. Acad. Sci.U. S. A., 98, 12736(2001).

オキシトシン

オキシトシンは9 つのアミノ酸で構成されるペプチドホルモンである。オキシトシンは視床下部の室傍核(paraventricular nucleus ; PVN)と視索上核の大細胞性ニューロン、小細胞性ニューロンで合成され、下垂体後葉から血中へと放出される。主に 乳房や子宮に発現しているオキシトシン受容体に作用し、それぞれ乳汁射出や子宮収縮を促すことが古くから知られている。近年、脳の中にも受容体が発見され、またオキシトシンが放出されていることがわかった。オキシトシンは大脳辺縁系や脳幹などの中枢神経系にも作用し、いくつかの社会行動を制御する。とくにオキシトシンの作用阻害薬を分娩後のメスラットやヒツジに投与すると養育行動の発現が阻害されることから、養育行動の誘起にも大きく関与していることが示されている。

社会的絆ともいう。個体間において、特に強い親和関係が結ばれること。愛着(アタッチメント)ときわめて類似しているが、アタッチメントが特定の対象との近接によってネガティブな情動を軽減するための行動システム(仔が親を引き寄せるための行動システム)であるのに対し、絆はアタッチメント行動によって成立した保護-被保護者関係の状態をさす。親仔間に最もよく観察されるが、雌雄間やメスどうしの間でも形成されることがある。絆が形成されることにより、多くの時間を共に過ごし、常に相手の存在を把握するようになる。動物の研究において、生物学的に絆が形成されている要件として、特定の対象を認識すること(個体弁別、個体間のボディーランゲージや音声などの社会的合図の理解)と、特定の対象との分離および再会時に特異的な反応を示すことが必要であるとされている。

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