【総説】酵素フリーで細胞回収できるスマート温度応答性培養皿SSCW®
本記事は、和光純薬時報 Vol.94 No.3(2026年7月号)において、
東京女子医科大学 先端生命医科学研究所 中山 正道 様に執筆いただいたものです。
1 はじめに
近年、自己組織由来細胞やiPS細胞から分化誘導した細胞を用いて、立体的かつ機能的な細胞組織を作製し、移植する再生医療が注目されている。このような細胞組織は、画期的な治療手段となりうるだけでなく、実験動物に替わる創薬・疾患研究のためのツールとしても有用であるほか、今後深刻化する世界的な食料危機を解決する細胞性食品(いわゆる培養肉)としてSDGsへの貢献も期待される。このため、細胞を適切に増殖させたのち、これを効率よくマニピュレーションする手法の重要性が増してきている。
細胞の接着は、培地中に添加される血清由来のフィブロネクチンなどの細胞接着分子(接着タンパク)が培養基材の表面に吸着したのち、これらのタンパクと細胞膜上のインテグリンといった受容体との間のアフィニティ結合によって誘起される。その後、接着した細胞は、基材表面上で増殖が可能となる。この培養過程において、細胞固有のさまざまなタンパクや多糖類からなる細胞外マトリックス(ECM)を産生し、生体内と類似した構造と機能を獲得する。しかしながら、いかに効率よく細胞を培養できたとしても、トリプシン等による酵素反応で基材から剥離回収してしまうと、ECMだけでなく膜タンパクまでもが分解されてしまい、細胞本来の構造と機能を完全に保持することは難しい。そこで本稿では、酵素処理を用いることなく、構造・機能を保持した状態で培養した細胞を剥離回収できるスマート温度応答性培養皿について、その特徴と活用法を紹介する。
2 温度変化で培養細胞を剥離回収できるスマート温度応答性培養皿
温度応答性培養皿は、細胞の構造・機能を損なうことなく、温度を変化させるだけで剥離回収できるスマート培養基材であり、岡野光夫博士(東京女子医科大学 名誉教授/一般社団法人細胞シート再生医療推進機構(CSTERM) 代表理事)らによって世界ではじめて開発された。この培養皿の表面には温度応答性ポリマーであるpoly(N-isopropylacrylamide)(PIPAAm)がナノレベルの厚みで薄膜固定されている。PIPAAmは30℃付近に下限臨界溶解温度(LCST)をもち、高温側ではポリマー鎖が脱水和し、水不溶性の収縮構造をとる。逆に低温側ではポリマー鎖は水和し、伸展した構造となる。このユニークな特性ゆえに温度応答性培養皿では、一般的な細胞培養皿と同様に、37℃で哺乳類細胞が扁平状に接着するが、室温付近(20~25℃)まで冷却すると接着性が大きく低減し、球状になって剥離する。自発的に剥離した細胞は、化学的または物理的なダメージを受けていないために、膜タンパクやECMを保持した状態で取扱うことができる。
これまで温度応答性培養皿の性能品質を維持しつつ、多様な細胞種への対応(カスタマイズ性)と製造コストを抑えた量産化を両立するためには、製造技術の面で課題があった。東京女子医科大学では、細胞毒性を示すモノマーを原料とした表面グラフト重合法に替わる製造法として、独自設計したスマートポリマーを均一でかつ安定にナノ薄膜固定する技術を確立し、CSTERMと実用化を目指した共同研究を進め、2024年11月にスマート温度応答性培養皿Smart Surface Culture Ware(SSCW®)が上市された(図1)。SSCW®で使用されるスマートポリマーは非分解性であり、プラスチック製基材に高い吸着性をもつpoly(butyl methacrylate)をアンカー鎖として温度応答性PIPAAm鎖に連結したブロックコポリマー構造をもつ。このため、アンカー鎖を介してベース基材に強固に吸着したPIPAAm鎖は、LCST以下まで冷却しても細胞とともに基材から剥がれることはない。加えて本技術では、コーティング溶液のポリマー濃度を微調節することで、スマートポリマー層の膜厚を再現性よくナノ単位で制御できる。これにより接着性や増殖性が異なる多様な細胞種の特徴に応じて、培養細胞の挙動を任意に調整できるように表面カスタマイズ性を大きく向上させている。
<SSCW®の特徴>
- 温度変化により細胞/細胞シートを剥離回収可能
- 酵素フリー回収した細胞/細胞シートは膜タンパクや細胞外マトリックスを保持
- 培養操作中でも溶出しない非分解性スマートポリマーのナノコーティング技術
- 化学反応フリー製造による生体に安全でかつ高い製品品質を実現
- 各種細胞の特徴にあわせたスマートポリマー層の高いカスタマイズ性を実現
3 温度応答性培養皿と細胞シート工学
組織形態を持たない血液細胞と異なり、心臓や肝臓など細胞成分が主体で複雑な構造と機能をもち、毛細血管系も要求される臓器の場合、酵素処理で基材から回収した孤立分散した培養細胞を注入移植しても十分な組織再生を実現することは難しい。温度応答性培養皿では、コンフルエント状態(培養面が細胞で隙間無く覆い尽くされた状態)まで培養継続したのち、温度を25℃以下に冷却すると単層組織である「細胞シート」として剥離できる。細胞シートの底面には、細胞と基材表面との間に産生されたフィブロネクチンやラミニンなどの接着タンパクが保持されている。この接着タンパクが「生体の糊」として機能し、生体組織に貼付するだけでほぼすべての細胞を適所に移植することができる(図2A)。細胞シートは、細胞-細胞間ネットワーク構造を維持していることから生体組織にきわめて近い生理的機能を発現しており、移植部位の組織環境を整えるさまざまなサイトカインを持続的に分泌する生きた製剤となりうる。これまでに間葉系幹細胞シートなどを移植すると、移植付近における血管新生や局在する幹細胞の分化の誘導など、パラクライン効果による組織再生を促進させることが分かっている。一方、複数の細胞シートを重ねることで互いが構造的にも機能的にもリンクした3次元細胞組織を人工的に構築することもできる(図2B)。例えば、心筋細胞シートを積層化した場合、互いが電気的に同期し、自発的かつ継続的に伸展-収縮を繰り返す生体摸倣型の立体組織を作製できる。またこのような3次元組織において、血管内皮細胞と共培養すると細胞シート組織内に毛細血管様のネットワーク構造を付与することも可能である(図2C)。東京女子医科大学では、この一連のマニピュレーション技術を「細胞シート工学」と称している。現在、さまざまな細胞を用いて単層あるいは積層化細胞シート組織を作製し、医療、創薬およびライフサイエンス研究への応用を追究している。一方、細胞シートを用いる再生治療の開発では、国内外で角膜上皮や心臓、食道、歯根膜、軟骨などをはじめとした組織・臓器の機能改善を目的とする前臨床研究/臨床研究/治験が進められている(図2D)。
4 SSCW®の選定と細胞シート作製のポイント
細胞は種類によってそれぞれ異なる接着性と増殖性を示す。SSCW®の基本ラインナップでは、培養対象となる多様な細胞の特徴にあわせてスマートポリマー層を微調整したSSCW®-S(標準タイプ)とSSCW®-L(接着強化タイプ)を提供している。ここではSSCW®を用いて細胞シートを作製する際のポイントについて解説する(図3)。
4.1 SSCW® の選定
培養基材に対して強く接着し、十分な増殖性が確保できる細胞を使用する場合にはSSCW®-S(標準タイプ)を選ぶとよい。一方、間葉系幹細胞や血管内皮細胞などを用いる場合、SSCW®-Sに対する対象細胞の接着性が十分でないケースがある。この際には、スマートポリマー層をより薄膜化したSSCW®-L(接着強化タイプ)を使用することを推奨する。
4.2 プレコーティング操作
初代培養細胞をはじめとする低接着性細胞を扱う場合や高細胞濃度(1× 105 cells/cm2以上、35-mm培養皿:8 cm2)で播種を行う場合、フィブロネクチンやラミニンなどの接着タンパク、または血清(ウシ胎児血清など)を培養面にプレコーティングすることで安定した接着培養を行うことが期待できる。この操作では、培養面が浸るようにプレコーティング溶液を添加し、37℃で3時間程度インキュベーションする。次に培養面が傷つかないように溶液を取り除き、培地などで優しく洗浄後に細胞を播種する。但し、過剰に接着タンパクを吸着させると、細胞剥離時間の遅延または不剥離が生じる可能性がある。この場合、試薬供給元の実験プロトコールを参照しつつ、プレコーティング溶液を至適濃度に調整することが望ましい。
4.3 培地交換と細胞シート剥離操作
培養過程でSSCW®の表面温度が30℃以下に低下すると、細胞の接着性が低減し、予期せぬ剥離を生じるケースがある。これを防ぐために、顕微鏡観察はできるだけ速やかに行い、交換用培地も事前に温めたものを使用することを推奨する。
SSCW®から細胞剥離させる際には25℃以下でインキュベーションする。基材表面のポリマー層を十分に水和させるために、20℃付近に設定することがより好ましい。細胞シートとして剥離回収する場合には、顕微鏡下でコンフルエント状態に到達したことを確認し、さらに1日程度培養を継続後に剥離させると安定した細胞シートを得ることができる。剥離した細胞シートは、接着時の伸展状態から収縮状態に細胞形態が変化するために、培養面積よりも1/2程度まで収縮する事が多い。この収縮率が大きいものほどシート剥離性は良好な傾向にある。一方、肝実質細胞などから形成される細胞シートは収縮率が小さく、自発的に剥離しないケースがある。この場合、タッピングやマイクロピペットによる培養面外周部へのシアストレス付与、またはピンセットで優しく摘むなどでシート剥離させることも可能となる。
5 おわりに
本稿で紹介したSSCW®は、東京女子医科大学において得られた学術的知見および特許を基盤技術とし、CSTERMと株式会社細川洋行が共同して商品開発したものである。より広範に取扱われている細胞種の特徴に応じて温度応答性ナノ薄膜層が微調整された2種を基本ラインナップとしている。またiPS細胞など、利用者の要望に応じて細胞種の特徴にあわせた培養皿性能のカスタマイズのほか、細胞培養用途に応じて、セルカルチャーインサートなどの多孔性膜培養基材や大面積培養皿のセミオーダー品の対応も行っている。今後、細胞とユーザーにフレンドリーなSSCW技術が、医療やライフサイエンス分野の発展に貢献できることを期待してやまない。
